12月7日(水曜日)、寝床から起き出して来て、まったく火の気のないパソコン部屋で、寒さが肌身に沁みている。現在のデジタル時刻は、4:27と刻まれている。体調不良に見舞われて憂鬱気分に陥り、9時間近く寝床に潜り込み、長さに厭きて起き出している。寝床の中では目覚めたり、目を閉じたり、時にはトイレに起きて、願っていた安眠は得られずじまいだった。それもそのはず寝床の中で私は、次から次に鬱勃する生存にまつわる息苦しさを浮かべていた。こんなこともその一つである。日常生活とは、文字どおり日々生き続けるための活動である。そのためには、生き続けるための最低限条件(三要素)が要る。それぞれに形容詞を付けて、浮かべていたのはこれらである。一つは、病を撥ね退ける頑強な身体(力)、一つは生きる気力を殺がれない強靭な精神(力)、そして一つは、衣・食・住・に悩むことのない、豊富な金銭(財貨)の収得と蓄えである。衣食住を叶えるには、個人的には血のにじむ勉学を経て、最も有効な職業に就かなければならない。これらに加えて、様々な社会(人間の集合体)問題が絡んでくる。まずは、他人様との友好関係を築かなければならない。もちろん、天変地異のもたらす恐怖からも逃れなければならない。体調不良のせいで、長く寝床に潜っていたのに、こんな柄でもないことを浮かべているようでは、体調不良はもとより憂鬱気分さえ晴れることはない。挙句、起きて、胃部不快感がぶり返している。おのずからこの先は、結文である。来週の16日(金曜日)には、大船中央病院(鎌倉市)の消化器内科・主治医先生の診立てが予約されている。胃カメラの要・不要を決められる、ほぼ一年越しの予約である。かなり、気になる通院となる。夜明けの明かりは、二時間先である。 前田さんもお書きになっていらっしゃいます。 12月6日(火曜日)、現在の時刻は夜中2:52。対クロアチア戦、観ました。1対1、延長戦、決着つかずPK戦、1対3。日本チーム敗戦。惜敗。眠いから、寝ます。日本は、良い国です。 ひたすら書き続けても、今やだれひとり、読んでくれる兄弟姉妹はいない。寂しさが身に沁みる。それゆえに他人様、すなわち、ご常連様の優しさがわが身に沁み通る。 十二月五日(月曜日)未明。起き出しては来たけれど、まったく火の気のない部屋にあっては、寒さが太身の肌に身に沁みる。異常季節とも思えていた暖かさを断って正常軌道に戻り、ようやく確かな冬の季節が訪れている。雑草も枯れて、草花さえ少ない庭中にあって、健気に季節をつないでいたのは、これら二つの花である。一つは、文字どおり濃緑の葉っぱに凛凛と艶を帯び、今なお黄色く光り続けているツワブキの花である。一つは、花の少ない季節ゆえにわが目に留められて、誇らしく白い小花を散らしている寒菊である。今やどちらも大方、役割を終えて、みずから冬花の王道と謳う、椿と山茶花へつないでいる。花の少ない季節にあって、長く眼福を恵んでくれていた山や木立の黄葉や紅葉は、わが季節の終わりを感じてか散り急ぎ、日に日に冬枯れの季節の到来を告げている。ちょっぴり寂しさを誘うけれど、自然界の営みゆえに仕方のないまっとうな季節めぐりの証しである。翻って年の瀬の人の営みは、必ずしも正常にはめぐっていない。来る日も来る日も季節感などないままに、事故や事件のオンパレードである。加えて、コロナの恐怖もいまだに、発生以来の年数を忘れてしまうほどに長く続いている。私の場合もまた、常々体調不良を嘆いている。起き立てにここまで書き殴り、現在わが心中に浮かんでいることは、こんなことである。すなわち、駄文であっても書き続けることは、ほとほと大変である。まして、駄文を読み続けてくださることは、輪をかけて大変なことである。このことを浮かべて私は、ご常連の人たちにたいして、あらためて感謝と御礼の思いをいだいている。いまだ寒気は、真っただ中とは言えず、もとより寒気の本番は年明け以降に訪れる。それゆえに年の瀬にあって私は、ご常連の人たちのつつがない日めくりを願ってやまないところである。私自身は、体調の回復に努めなければならない。もちろん、悪あがきにならないようにと、しっかりとわが肝に銘じている。いまだ、夜明けの明かりは見えない。年の瀬は、寒気をともない中流へ差しかかる。人の営みは、自然界のように自然体でめぐることはない。いや、人の営みには季節感は感じられない。駄文を綴り、そして、それを読んでくださることを、ただただ済まなく思う、年の瀬である。 十二月四日(日曜日)、おとといあたりから急に、わが身に堪える寒気が訪れている。この時季にあっては当たり前の寒気だけれど、ずっと暖かい日が続いてきた矢先ゆえに余計、肌身に寒気が沁みている。いよいよ、老身を脅かす寒気の訪れにある。それゆえにきのうから、寒気に闘いを挑んで、冬布団に厚手の毛布を重ねている。さらにきょうからは、下着に肌着を一枚増やして、冬防寒重装備の完備を企てている。すでに上着は、子どもの頃の丹前代わりに、分厚いダウンコートを羽織っている。だからこの先、寒気が増しても着衣の重ね着はできず、現在の冬防寒重装備で、寒気と闘うこととなる。しかし、闘いにあっては、防戦一方になりそうである。続いていた暖かい日にかまけて私は、もちろんのほほんとしていたわけではない。異常気象ならぬ自然界気象の正規のめぐりであれば、突然の寒気とて文句を言う筋合いはなく、日々我慢を重ねるしか能はない。確かに、寒気の訪れは仕方ないけれど、年の瀬にあって天変地異の鳴動だけは、真っ平御免蒙りたいものである。川の流れのごとく緩やかに、いや早瀬のごとく日が流れてゆく。おのずから年の瀬の日々には、さまざまに万感きわまりない思いがつのってくる。それらの思いの一つは、この先の寒気しのぎである。すると、寒気を和らげてくれることではやはり、自然界の恩寵とりわけ太陽こそ最善である。端的にはしらずしらず眠気を誘われ、昼間にあって睡眠に落ちそうな太陽光線の恵みである。きのうの昼間、私は茶の間のソファに背もたれて、太陽光線のありがたみとつれなさを感じていた。窓ガラスを通してポカポカ光線がそそぐと、たちまちわが心身は、暖かさに解れた。逆に光線が翳ると、これまたたちまち、寒さで身震いした。言うなれば太陽光線の有る無しに応じて、わが心身は解れと縮みを繰り返した。つまるところ私は、いまさらのごとく、太陽光線のありがたみを感じていた。すると私は、かつての異国の名画の題名になぞらえて、『太陽がいっぱい』気分を満杯にしていた。本格的な冬将軍のお出ましに遭って、他力本願ながらわがすがるのは、太陽の恵みなかんずく、暖かい太陽光線である。この先、私は「ありがたや、ありがたや…」と、呪文を唱える日々の多さの訪れを願っている。いまだ夜明け前にあって、太陽光線の恵みはなく、わが身体はブルブル震えている。冬防寒重装完備だけれど、もとより太陽光線には、闘わずして大負けである。本格的冬将軍のお出ましに遭っては、「ひぐらしの記」の頓挫が危ぶまれるところである。 十二月三日(土曜日)。口内炎の再発症による痛みのせいで、目覚めて起き出してきたら、身に沁みる寒気が訪れていた。この時季にしては異常気象と思えるほどに長く、暖かい日が続いていた。当たり前のことだけれどこの寒さは、不意を突かれたとんだお邪魔虫である。壁時計の針は、いまだ真夜中と呼ぶにふさわしい三時前をめぐっている。私はだれもが知っているごく簡易な三つの言葉を浮かべて、机上に置く電子辞書を開いた。難病:①治りにくい病気。②厚生労働省が指定した特定疾患の俗称。持病:全治しにくくて、常に、またしばしば、悩み苦しむ病気。宿痾。痼疾。僥倖:思いがけない幸せ。偶然の幸運。さて、私の場合は自分勝手に、たかが口内炎をわが難病に指定している。もちろん、正規の難病扱いにはできない、自分だけのまがいものの難病である。ところが一方、私の場合口内炎は、れっきとした持病と言えそうである。つらい辛い、確かな持病である。挙句、泣き虫の私は、現世(此岸、この世)から、お釈迦様が「極楽浄土ですよ…」と言って誘う来世(彼岸、あの世)へ、ときには早く行きたい思いもする。きのうの私は、あと四十分ほどで訪れる(四時)に、文字どおりの僥倖に恵まれた。僥倖とは起き出して来るや否や、サッカー・ワールドカップ(カタール)における、対スペイン戦のテレビ観戦に遭遇したのである。私は急いで階段を下りて、階下の茶の間のテレビ桟敷へ赴いた。そして、ソファに置く、リモコンスイッチをすばやく押した。すると、これまたなんという僥倖であろうか。まるで、構えて仕掛けていたかのがごく、キックオフから間もない画面が現れた。こののちの私は、試合経過に見入り、ノーサイド(試合終了)にいたるまで、試合に魅入った。日本チームの勝利を見定めると、急いで二階へ逆走した。そして、気分の沸き立つままに、「勝ちました」と書いて、投稿ボタンを押した。きょうの私は、ちょうど四時に合わせて、このことを書くつもりだった。ところが壁時計の針はめぐり遅れて、未だ三時四時分あたりをめぐっている。このため、四時近くまで、あえて時間潰しの推敲を試みる。そして、この文を閉じれば、階下へ下りて、洗面所に置く軟膏(塗り薬)を口内炎の患部に塗りたくるつもりでいる。夜明けの明かりは見えず、時計の針は四時近くまで進んできた。そして今まさに、きのうの試合開始時間へ到達した。心置きなく、投稿ボタンを押して、パソコンを閉じる。 勝ちました。 十二月二日(金曜日)、観るつもりで、構えて起き出してきたのではない。ところが、目覚めて起き出して来た時間は、偶然にもサッカー、対スペイン戦の試合時間と重なっている。日本国民の多くの人たちは、寝ずにこの時間を待っていた。そう思えば、せっかくの好都合の目覚めと起き出しであり、もったいなく思うのは、へそ曲がりの私とて、並の人情の発露であろう。こんな理由で、この先の文章は止めて、階下の茶の間のテレビ桟敷へ向かうこととする。予定にはなかったけれど、サッカー・ワールドカップ・対スペイン戦のテレビ観戦のためである。再び、パソコンに向かうかどうかは、試合経過の中で沸き立つ気分しだいである。妄想
2022FIFAワールドカップカタール大会の日本代表
ぼくは、グループリーグのドイツ戦・コスタリカ戦・スペイン戦は、あえて観ませんでした(笑)。
決勝トーナメントのクロアチア戦は、夜勤の仕事中でしたが、休憩中にYahoo!アプリ経由のABEMAで、後半45分〜延長戦後半終了直前まで観ました。
結局PK戦になって、敗退となってしまいました。
岡田武史監督時代の2010年南アフリカ大会を思い出しましたが、PK戦を制しない事には、決勝トーナメントを勝ち抜いて行く事はできません!!
日本代表の全体試合のレベルは、たいへん素晴らしいですが☆、PK戦の実力となると疑問符だらけとなってしまいます。
キッカーはゼッタイに決めないとダメですね!!
全体練習の他に、PK戦に特化した特別練習も並行してやっていかないと、日本代表は、決勝トーナメントには進出したけれど、16強止まりの繰り返しになってしまうと思います。
2026年のアメリカ・メキシコ・カナダの共催大会に期待しています☆惜敗
年の瀬
年の瀬は、中流へ流れてゆく
冬将軍のお出まし
バカな、私
再び、パソコンを立ち上げました
早暁、いや未明(午前四時)