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大沢久美子撮影

大空眺めて、作文

10月11日(水曜日)、久しぶりに雨模様のない夜明けが訪れています。薄い日本晴れを隠し、白雲や彩雲が色彩を添えています。晩秋の夜明けはようやく、願ったり叶ったりです。しかしながら寒気は、わが身に堪えています。それでも、本来の季節に応じた夜明けであればうれしく、我慢しなければなりません。きのうの夜明けに書いた文章では雨模様で晴れ間を望めず、私は自然界のしわざに難癖をつけました。ところが時間を追って、かつての「体育の日」の日本晴れを髣髴するような好天気になり替わりました。そのため昼間の私は、心中で早とちりを詫びました。ここでしばし、指先を休めて、大空模様を眺めます。不断の私は朝・昼・晩にあって、大空模様を仰ぐのが好きです。その時々に大空の描く風景はまさしく千変万化、果てしなくかつ汚れのない無償の恵みです。これこそ、ひとり悦に入ることのできる天恵です。先ほどの薄い日本晴れは、浮雲を遠のけて朝日が射し、青色を増した晩秋の日本晴れになり替わりはじめています。待ちに待った、胸の透く夜明けの風景です。ようやく、晩秋の好季節が訪れています。きょうはこのことを書くだけでいいでしょう。きょうのわが行動予定は、気分良く買い物行です。売り場は、「果物の秋」全開です。出回り中のサンマ(秋刀魚)は、すでに二度ほど食べています。学童の頃の「綴り方教室」の作文になりました。

♪前田さんへメッセージです♪

前田さん、そんなに御自分を見下げなくてもよろしいのではないでしょうか。
それよりも”前田さん御自身を活性化させる方法”をお考えになったほうが、『人生楽し!! ひぐらしの記楽し!!』と、”前田エンジン全開!!”へと繋がってゆくのではないでしょうか。
前田さんが駄文とおっしゃっている文章からは、☆前田さんの個性☆がたくさん伝わってきています☆☆
きょうは、早朝が雨で、昼間は晴れ、これから夕方はまた雨のようですが、夜には晴れ、明日11日(水)からの週間天気を見てみますと、26日(木)まで晴れマーク、前田さんがお書きになっていらっしゃる◎肌身に心地良い晩秋の日本晴れ◎到来ですね◎◎◎◎◎◎◎

♪大沢先生へメッセージです♪

大沢先生、御返事の御投稿どうもありがとうございます\(^o^)/
『太陽の恩恵』という御言葉までいただいて、たいへん嬉しく思います*(^o^)/*
ぼくも幼少年期に蟻を本格的に飼いたくて、巣を見つけると、掘ったりしていましたが、あまりにも深く掘ると、母方祖父母に怒られると思い、いつも途中で断念していました(苦笑)。
祖父は、引き戸付きの物置小屋などを、いとも簡単につくってしまう器用な人でしたが、蟻の巣箱は作ってくれませんでしたので、先生が羨ましく思いました♪♪

高橋さん、お元気のようでなによりです。

 私の投稿への感想、ありがとうございます。いつも心のこもった感想をいだき、舞い上がっています。このところの寒さで、身も心も縮こまっていましたから、まるで太陽の恩恵を受けたように温かくなりました。
 私は子供の頃に、父が作ってくれた蟻の巣箱をいつもかかえて、蟻の巣のそばに置いて女王蟻が入ってくれないかと待っていました。そのころは、情報を得る知識が無くて、蟻の生態などわからなかったので、ただひたすら待っていました。今でも蟻を見つけると、巣箱をこしらえてくれた父の子を思う深い愛が身にしみます。

「秋」忘れの季節

現行の振替休日の「スポーツの日」が過ぎて、かつての「体育の日」(10月10日・火曜日)の夜明けが訪れている。好季節を鑑みれば、満々と輝く朝日が昇り始めていいはずの朝は、きのうに続いてまたもや雨模様である。わが感慨は、「秋」を忘れている季節、の思いひとしおである。10月になってきょうで十日、最も好季節であるはずの10月初旬は、とうとう季節忘れをこうむってしまった。あす以降の気象情報は聞いていないけれど中旬は、まずは初旬の罪償いを望むところである。そしてそののちは、本来のゆるぎない晩秋の好季節を存分に振舞ってほしいものである。そうでなければわが不断の自然界賛歌は、おのずから色褪せて打ち止めとなる。寒気だけは季節どおりだけに現れているだけに、このところの悪天候には余計腹が立っている。年老いてすがるのは、無償で得られる自然界の恩恵がイの一番である。もっと具体的には、天変地異なき日本晴れである。日本晴れであっても、秋天高い晩秋の日本晴れほど胸の透くものはない。確かに、冬晴れの日本晴れもさわやかだけれど、ところがこれにはわが嫌う寒気がともなっている。初冬の小春日和もいいけれど、しかしこれは、一日ないし二日の賞味期限付きである。期限が尽きるとこんどは、肌身にいっそうの寒気をおぼえて、それに慄くこととなる。こんなことを胸中に浮かべているとやはり、肌身に心地良い晩秋の日本晴れに勝るものはない。とりわけ、現行のきのうの「スポーツの日」(10月9日・月曜日)、そしてかつてのきょうの「体育の日」には、満天大海原とまがう日本晴れを望んでいた。しかしながら、自然界の人間界への悪戯かいや怨念なのか、この望みは叶えられなかった。つくづく残念無念である。挙句に起き立ての私は、きのうに続いて二番煎じの文章を書いている。いくらネタ不足とは言え、この文章にさら駄文を重ねるのは、生き恥晒しであり、ここで書き止めである。こんな文章を再び読んでくださる高橋弘樹様には、心して詫びるところである。

♪大沢先生へ昨日の『望月窯だより』の感想です♪

大沢先生、先週の望月窯行き、お疲れさまでございました。
野菜の苗は、望月窯畑へ植えられたことと思います。

先生のレジを担当したホームセンターの女のコ店員さんですが、普段でも固まっていることと思います(大笑)。
バッタがいるので、お客様である大沢先生に対して、なんとかしてあげたいけれど、私は虫が大嫌いでコワイから、どうしよう......という”大葛藤”があったのではないか、と推察します!!
でも、先生が取り除いたので、”大大大感謝”の状況でしたね♪♪
ぼくは、”虫大好き人間”ですが、もし虫が嫌いで、レジを担当していて、この女のコ店員さんのような状況があったとしたら、レジ操作を円滑に進めるために、虫の事はスルーして、お客様に委ねた事と思います(笑)。

先生、小説の一場面のようなエピソードをありがとうございました(^^)

♪前田さんへ本日の『ひぐらしの記「スポーツの日」の雨』の感想です♪

前田さんのおっしゃる通り、「スポーツの日(旧体育の日)」の雨天は、珍しい事ですね!!
自転車で移動することが多いぼくにとっては、雨の日は、行動が制限されますので、ヒジョウに残念なところです↓↓
前田さんと同じく「寒気の深まりと秋天高い秋晴れの同時進行」を望んでいます!!
お互いうんざり気分ですが、きょうも前田さんへ”大大大エールと大大大エネルギー&パワー”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

「スポーツの日」の雨

「スポーツの日」(10月9日・月曜日)にあって、日本列島の多くの地方や地域は雨の予報である。長い過去体験を顧みても、こんなことはめったにない。わが住む鎌倉地方もまた、予報に違わず小雨模様の夜明けである。9月から月替わって10月初旬、なんだか異常気象と思えるところがある。季節どおりに確かに、日々寒気は深まりつつある。ところが一方、季節に呼応する胸の透く秋晴れは、いまだ遠のいている。せっかくの好季節にあって、片肺進行ではうんざりであるし、もちろんもったいない。欲深い私は、寒気の深まりと秋天高い秋晴れの同時進行を望んでいる。もとより、気象の恩恵は無償である。ならば、好季節にふさわしい好天気を望むのは、わが欲のツッパリであろうか。予告どおりに私は、きのうのわが町の「市民体育祭」へは出かけずじまいだった。だけど、夜明けにあっては好天気を願っていた。夜明けて、ちょっぴり好天気の兆しが見えた。そののち、朝日は雲隠れた。挙句、太陽は一日じゅう日光を隠したままだった。幸いにも、雨は降らなかった。けれど、肌寒い市民体育祭に終始した。出かけなくとも、市民体育祭は他人事とは思えない。悪天候は、天界の意地悪に思えていた。夜明けの小雨模様は風をともなって、今は嵐模様の大降りである。おそらく日本列島あちこち、「スポーツの日」にあって予定されていた運動会や体育祭などの催行(行事)は台無しである。万事、人間界の楽しみや営みは、自然界におんぶにだっこである。

寝起きの「繋ぎ文」

10月8日(日曜日)、どんよりとした曇り空の夜明けにある。私には、きょうの天候が気懸りである。寝起きの私は、寝坊助を被り、慌てふためいている。二日坊主にはなりたくなくて、パソコンへ向かっている。ゆえに文章は、しっちゃかめっちゃかである。風邪薬を服用し就寝したせいか、副作用が効いて熟睡に陥り、目覚めが遅くなり起き出している。不断の私は、二度寝にありつけないことを嘆き続けている。このことを鑑みれば、棚ぼたの副作用効果であり、大いに歓迎すべきことである。しかしながらやはり、文章を書くうえでは喜べず、慌てふためいている。頃はあすの「スポーツの日」(10月9日・月曜日)を前にして、晩秋一番の好季節にある。この証しに日本列島のあちこちにはきょうあすに、運動会や体育祭が行われという。実際には実施日明けのからだ休めを狙って、多くはきょう行われるようである。確かに、わが町にあってもきょうは、市民体育祭が予定されている。観覧へ出かけるつもりはないけれど、きょうの天気が気になる夜明けの曇り空である。観覧はおぼつかないけれど、新型コロナウイルス騒動が一応収まった証しとしては、うれしさあふれる体育祭である。少しずつ日本社会は、新型コロナウイルスの呪縛から逃れて、平常いや日常生活に戻りはじめている。こんなことを書いていると、あらためてロシアとウクライナにおける、泥沼戦争の帰趨が気になるところである。為政者のメンツはいつまで、無辜の市民を巻き込むのであろうか。戦争が終わり、世界平和が待たれるところである。きのうの夜の私は、公式戦を終えた阪神タイガースのテレビ観戦に代わり、バレーボールの日本男性チームの試合をテレビ観戦した。この試合において日本チームは勝利し、晴れて来年の「パリオリンピック」の出場権を確定したのである。私は喜びに浸った。この文章は二日坊主を断って、三日へつないだだけのものである。それでも私は、こころ安着気分にある。それほどにこのところの私は、文章の継続に右往左往を強いられている。もとより、こんな書き殴りは、文章とは言えない。約30分の時が過ぎて、曇り空を蹴散らし、朝日が昇り始めている。「天恵、様様」である。

望月窯だより

 先週火曜日から二泊三日で古河の実家を訪れた。ホームセンターで野菜の苗を購入した。苗を選んでレジで精算をしていると、若い女性の店員が苗のポットに手を伸ばして取り上げようとしてためらっている。その動作を何度か繰り返しているが、先に進まない。
「どうしたの?」と私が訪ねると、「虫が……虫が……」と言ったきり固まっている。
「どこにいるの?」と私はカウンターの上の精算かごをのぞくけれど、見当たらなかった。店員は、指で恐る恐るポットを指さしている。その姿は今にも逃げるような仕草である。
 よく見ると、ポットに植わっている苗の根元に枯れた笹の葉のようなものがある。動けなくなったバッタが一匹横たわっている。
 私は即座につまみ店の入り口から外へ放り投げた。バッタは飛び立っていった。
 店員は再び元気よくレジを打ち始めた。虫が嫌いな人は、体が固まってしまうほどなのだと始めて知った。しかし、野菜の苗や苗木など扱っているのに、今回が初めてではないだろうに、普段はどうしているのかと気になった。
 何となく微笑ましく、心が和んだ買い物だった。