再三再四の「嗚呼、無情」

5月2日(木曜日)。目覚めると両耳へ枕元に置く補聴器を嵌めて、パソコン部屋へ向かって行く。わが習わしの一日の始動である。ところが心境は前を向かず、後ろ向きでこんな状態にある。(もう、書けない。書きたくない)。小雨そぼ降る夜明けが訪れている。山の枝葉は濡れて、上下左右に揺れている。小嵐の夜明けと言っていいのかもしれない。きのうは願っていた晴れには恵まれず、ほぼ一日じゅうしとしと雨が降り続いた。そしてこれには、わが身に堪える寒気が付き添っていた。私は着衣を重ねて、寒気を撥ね退けた。けれど、抗しきれずに人工の暖をとった。ここまで書くと、あれ! ウグイスが鳴いている。ウグイスもまた、このところ愚図つく天気に我慢ができないのであろうか。そうであれば私と同類項であり、しばし聞き耳を立てて、いつものお返しに、私かからエールを送りたいところである。こんな文章しか書けないわが身は哀れである。こんな心境にあって、一つだけネタらしいものが浮かんでいる。しかしながらそれは、変わりゆく世相を映す切ないものである。わが買い物の街「大船」(鎌倉市)には、直近まで二か所に本屋があった。いずれも、かつての小さい「町の本屋」を超えて、大型の「街の本屋」と言えるものだった。一つは、大船駅に隣接する「ルミネ」の中にあった。今回、それが消えたのである。残る本屋は、大船駅からかなり離れた所にある「西友ストア」の6階に位置している。利便性においては、もとより前者がはるかに勝っている。それなのに、先に消えたのである。普段、後者は前者よりもっと、人影はまばらである。このことからすれば後者もやがて、前者の憂き目を見そうである。そうなれば、大船の街には本屋が無くなることとなる。かつて、本屋は4軒ほどあったような記憶がある。一つあった映画館はとうに消えて、跡地はドラッグストアが占めている。大船の街には「松竹大船撮影所」があった。ところが、これまたとうの昔になくなり、跡地には「鎌倉女子大学」と「イトーヨーカドー」が隣り合わせで建っている。挙句、現在の大船の街には、飲食店、コンビニ、ドラッグストア、カラオケ店など目立っている。パチンコ店は衰退し、残るは一軒になった。私がときおり出向いて、モーニングセットで時間潰しをしていた、喫茶店「ルノアール」は無くなった。きょうの文章は、様変わる世相の一端を記して、継続文の足しにするものである。こんな碌な文章しか書けない、切ないわが身の現状でもある。遠望する大空には、我慢しきれず隠れている朝日が薄く光を擡げている。