掲示板

 

高橋さんへ

 江戸錦、きっときれいな花が咲くことでしょう。
楽しみですね。

心の余裕

 大沢さんの、心に余裕を持って、言われる言葉に改めてその大切さを思い知らされたような気になりました。
 私もまもなく83歳になる身、現在はほとんど毎日地区センターへ行って仲間と囲碁を楽しんでいます。
 そして大沢さんの言われる通り、心に余裕を持って、生活していきたいと思っています。

思い出します

 古閑さん、いよいよ花の季節が始まりましたね。何時だったか雪の日の豆桜を古閑さんが掲示板に投稿してくださいましたね。季節は容赦なく巡ってきます。そして花々は季節を忘れずに咲き誇ります。それらに気持ちが通うように、心に余裕を持ちたいものです。

身勝手な「望郷」

呱呱の声を上げて、生誕地(故郷)に住んでいたのは、高校を卒業して上京するまでの18年間にすぎない。この間は、当時の熊本県鹿本郡内田村村立内田小学校と中学校に通った。そして高校は、町中・鹿本郡来民町中にあった県立鹿本高校へ、はるばる自転車通学をした。舗装のない、砂利や石ころ剥き出しの遠い田舎道だった。鹿本高校は、当時の鹿本郡内にあったる唯一の普通高校である。普通高校へ志願の内田中学生は、みんな鹿本高校を受験した。その先の街中には、山鹿高校があった。ところがのちに、両校は併合され、新たな校地は山鹿市内にできた。そして、鹿本高校のほうの名を残して、現在は熊本県立鹿本高校として山鹿市内に存立する。18年にすぎない生誕地生活だけれど、望郷の念はいっときさえ尽きることはない。いや私は、望郷の念に支えられて、82年の生存を成し得ている。ところが、私は熊本県人でありながら、幼年、学童そして生徒時代をほぼ一定地域で生活した。ゆえに私は、熊本県内のほかの村、町、市街の様子など今なおまったく知るよしない。そのため、くだらないとも思えるアンケートにも関心を留めたのである。挙句、うれしくなった。この引用文は、きょうも文章を書く気がないことを埋めた、身勝手な余興である。旧内田村は、隣の菊池郡あった城北村との合併のおりに誕生した行政名・菊鹿村から菊鹿町へと経緯し、現在は熊本県山鹿市菊鹿町と変えている。「熊本県」で一番イケてると思う街ランキング! 2位は「菊池市」、1位は? (3/15日、水曜日、17:10配信、ねとらぼ調査隊)。九州本島の中央部に位置している「熊本県」。東部では世界有数の「阿蘇カルデラ」を持つ阿蘇山などの雄大な山々を望むことができ、また西部は有明海や八代海に面するなど、豊かな自然に恵まれています。さまざまな魅力を持っている熊本県には、一度は訪れたい、また何度行っても楽しめるような「イケてる街」も多くありますよね。●第1位:山鹿市。第1位は「山鹿市」でした。得票数は209票、得票率は25.8%です。熊本県の北東部にある山鹿市は、今回2位となった「菊池市」の隣にある自治体。福岡県や大分県にも境を接しています。豊かな自然環境を背景とした農業が盛んに行われており、特に栗やタケノコでは熊本随一の生産量を誇る街です。レトロな街並みが残る「山鹿温泉」をはじめ、「熊入温泉」「平山温泉」など、良質な温泉も魅力の一つ。やわらかく肌触りの良い温泉は「美人の湯」と呼ばれ、長年多くの人に親しまれてきました。他にも「チブサン古墳」や「方保田東原遺跡」、大和朝廷によって築かれた「鞠智城」といった国指定史跡も見逃せない観光スポット。夏には「山鹿灯籠まつり」、冬には「山鹿灯籠浪漫・百華百彩」といったイベントも行われ、四季折々の魅力がたくさん詰まった街です。そこでねとらぼ調査隊では、2023年2月25日から3月4日まで「『熊本県』で一番イケてると思う街は?」というアンケートを実施していました。今回のアンケートでは810票の投票をいただきました。

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

豆桜も卜半椿も素晴らしいです♪♪
こちらの江戸錦は、ほころび始めてきました♪

気分直しは「望郷」

3月15日(水曜日)。夜明けが近づいて、仕方なく起き出している。しかし、気力がともなわなくて、書く気分を殺がれている。きのうはずる休みというより、根っから生きることに疲れてしまい、文章が書けなかった。生きることも、死ぬことも、たやすいことではなく、もとより人生行路は茨道である。きのうのメディアは、喜ばしいことでは死刑囚・袴田巌さんの再審決定を伝えた。このまま控訴なく、再審において無罪になれば、喜びひとしおを超えて、惨たらしい仕打ちである。もちろん私は、ご当人の無罪を望んでいる。しかし、無罪を得られても、つらい人生である。それと同時に私は、弟の無罪勝ち取りに生涯を懸けられているお姉様の肉親愛と優しさに涙する。しかし、これまた勝利に酔えないつらい人生である。一つには、ノーベル文学賞作家・大江健三郎さんの永眠が伝えられた。大江さんは作家活動一筋ではなく、諸々の社会問題を提起し、みずからそれと闘う、作家であられたという。きのうの私は柄でもなく、人様の人生模様をかんがみて、「生と死」にしみじみ感をおぼえていた。夜が明けた。気分直しに、望郷に浸る。ふるさとに存在する「相良観音」は、きょう(15日)から18日まで、春季恒例祭が営まれる。子どもの頃の私は、片手に硬貨を握り締めて駆けて行った。賽銭箱は用無しに参道で、ニッキ水と綿菓子を買った。減るのを惜しむように、ちょびちょび啜り、ちょびちょび舐めた。望郷こそ、気分直しの本山である。しかしながら、一足飛びはあり得ず、少しずつにすぎない。きのうは、まったく書けなかった。きょうは、少し書けた。一歩、前進である。望郷のおかげかもしれない。

マスク着脱

3月13日(月曜日)、待ち望んでいた日の夜明けが、曇り空で訪れている。きょうはマイナス思考をともなう、グダグダ文章は書かない。もしかすると死ぬまで、マスクの着用を強いられるのか? と、恐怖に怯えていた。ところが、きょうを境にしてマスクの着脱は、個人の判断に委ねられることとなる。日本政府のお達しだから、公(おおやけ)である。もちろん、一足飛びにマスクの着用が不要となることはないけれど、無言の同調圧力は免れそうである。私の場合、このことがことのほか、うれしいのだ!。近眼と両耳難聴ゆえに私は、耳穴は集音機で塞ぎ、耳たぶには眼鏡の柄とマスクの紐を掛けている。これらは、わが日常生活においてはきわめて煩わしい所作である。それゆえ、新型コロナウイルス発生以降私は、この三つ巴の所作からの解放を願い続けていたのである。一方でそれは、もう無理かな? と,諦めかけていたのである。ところがそれが、いまだに不完全ながらも叶ったのである。不完全というのは、場所や人の込み具合、さらには人様への迷惑、なお自分自身への感染の恐れを判断し、適応や対応を必要とするからである。そうであってもやはりきょうは、目の前に棚から牡丹餅がおちて来たごとくに、うれしい日である。これで、グタグタの書き止めである。飛んでもない、令和5年(2023年)3月、すなわち春日(しゅんじつ)の朗報である。私には桜便りを超えて、うれしい便りである。

春うらら

3月12日(日曜日)、起きて、こんなことを浮かべている。天災は、人間の知恵の及ばないところに隠れている。だからこの瞬間とて、地震が起きるかもしれない。時刻はまさしく、「阪神淡路大震災」(平成7年・1995年1月17日)の発生時刻(午前5時46分)にある。この日時は、うろ覚えではなく正確な記憶である。なぜなら当時の私は、勤務時代における大阪支店に在籍しており、被災地・兵庫県尼崎市東園田町の単身赴任者用の会社・借り上げマンションの一室「401」で遭遇したからである。きのうのテレビニュースは、12年前に起きた「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日,午後2時28分)で、ほぼ埋め尽くされていた。今でもどちらも、地震の恐ろしさが消えない哀しい記憶である。地震の恐ろしさと痛々しい記憶は、決して忘れ、消えるとはない証しである。ところが、天は罪作りである。きのうの東京の空は、首都の隅々にまで陽光こぼれる「春うらら」だった。まるで、地震の恐ろしさと未だに生々しい記憶を消し去るでもするような、まさしく麗らかな春日和だった。私は行動予定にしたがい、東京都国分寺市内に在る次兄宅への朝駆けを敢行した。「ひぐらしの記」を書き殴りで終えると、朝飯抜きにわが家を飛だった。時刻は7時過ぎ、それでも、次兄と顔を合わせたのは、10時半頃だった。12時半近くまで在宅した。いつもより帰りを急いだ。こんな魂胆をたずさえていたせいである。いつもであれば私は、JR中央線・新宿駅で下車し、湘南新宿ラインに乗り換えて、わが下車駅・大船へ向かう電車に乗る。ところがきのうの私は、新宿駅には降りずに、その先四ツ谷駅を挟んで、「御茶ノ水駅」で下車した。まずは、かつて通った母校・中央大学の校地に建てられた新キャンパスを見るためであった。ここを終えると、東京メトロ「御茶ノ水駅」から乗車し、二駅そして後楽園駅を挟んで、「茗荷谷駅」で下車した。茗荷谷駅は、勤務時代の下車駅である。この近くにも、母校の新キャンパスが建てられていた。それを見物し終えると私は、途中勤務した社屋(本社)を眺めながら、後楽園駅までテクテク歩いた。WBCの行われている「東京ドーム」を目の前にして、「後楽園駅」から電車に乗り、帰りに方向を変えた。今、スマホを手にして、きのうの歩行数と距離を確認した。それは、11,635歩と、そして8・9キロメートルだった。歩きながらのわが心中には、会社同期入社仲間の渡部さん(埼玉県所沢市)の偉大さだけが浮かんでいた。渡部さんは「ひぐらしの記」では、お馴染みである。私が友情を超えて敬愛する人である。現在、渡部さんは首都圏(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県)にある郵便局の大小にかかわらず、文字どおりそれぞれに貯金をしながらしらみつぶしの敢行の途中にある。すでに、3500か所の郵便局回りを果たされて、現在は、千葉県周りのさ中だという。きょうの文章は、このことを書きたかったのである。この後のテレビ番組を観るため、尻切れトンボを恥じて、ここで書き止めである。東京メトロの一駅間を歩きながらわが足は、ヨタヨタに疲れ果てていた。渡部さんの偉大さが身沁みた、春うららの歩行だったのである。渡部さんは僻地に住む、わが住宅地内にある最小規模の郵便局周りは、すでに済まされている。世の中には、いやわが仲間にはこんなにも偉大な人が存在する。地震なく、きのうに続いて、春、麗らかな夜明けが訪れている。