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坂本弘司撮影

賜った「感動と刺激」

5月22日(水曜日)。目覚めて、生きています。曇り空の夜明けが訪れています。学童時代の「綴り方教室」がよみがえり、それを真似て幼稚な作文を書きます。題材はきのうのバスの中で遭遇した光景です。きのうの私は、いつもの買い物の街・「大船」(鎌倉市)へ、昼過ぎから出かけました。用件は、文字どおり買い物です。帰りの背中の大きな買い物用のリュックは、膨れてダルマのようになっていました。さらに両手には、わが手に馴染んでいる布の買い物袋を提げていました。こちらにも、両手に限界の重さの買い物を提げていました。バスの始発の停留所では、先頭から十番目辺りで並びました。三時近くの昼間、立って並んでいるだけで、額には汗が滲みました。それでも、汗を拭く動作はできません。きのうは、特段に気温の高い日でした。もちろんそれは知り、私は薄手の半袖シャツで出かけました。十分ほど待って、バスが入線して来ました。私はもはや、老人用へ成り下がった特割の定期券を運転士に翳して、ワンコイン(百円)を支払機へ落とし、最後部座席へ進み腰を下ろしました。この座席は四人掛けです。真っ先に腰を下ろした私は、それでも身を縮めて、リュックや両手の買い物袋をわが膝にこじんまりと纏めました。ようやく、ホッとしました。次々に乗客が乗り込んで来て、車内の座席は埋まり、立つ人が増えました。後部座席にはいち早く、四人が並びました。私は身を竦めて、隣の人に席を空けました。隣はご婦人です。ゆえに、お姿をジロジロと見るわけにはゆきません。バスはエンジン音を響かせて、発車しました。ようやく、隣のご婦人の顔と頭髪を盗み見しました。顔には皺を刻み、頭髪には白髪が多く、私と同年齢(83歳)とあたりと、目鼻を付けました。私は車内に馴染み始めました。ご婦人はすばやく本と手にとり、ページを開かれました。私は横目を逆立てて、開かれたページに目を落とし続けました。この行為は気づいて、下車するまでの約二十分強続きました。わが下車する「半増坊下バス停」が近づくと私は、ブザーを押しました。ご婦人はまだ先へ進まれるため、気づいて横滑りなられて、私に道を空けました。ご婦人が乗車されてすぐから、ここまで開かれていたのは、分厚い英語の参考書でした。開かれていたページには、B+形容詞や副詞と書かれていました。すなわち、目を覆いたくなるような難しい「英語の構文例」が並んでいました。降りかけに初めて、私はご婦人へ声をかけました。「素晴らしいですね。英語の難しい構文例ですね。盗み見をしていました」「好きなものですから…」。感動と刺激をおぼえて私は、ヨロヨロと降車口へ向かいました。ところがそのとき、扉が閉まりそうになりました。私は大慌てで、「降ります」と、大叫びしました。再び、降車口のドアが開きました。降りると体勢をととのえて、わが家へ向かいました。再び額に汗が滲んで、こんどはタラタラと道路へ落ちました。初見のご婦人は、私に感動と刺激を恵んで、なおページを開いたままに、次のバス停かその先で下車されたはずです。循環バスのこの先のバス停は、あと二つです。曇り空は、胸の透く朝日の輝きに変わっています。

♪前田さんへメッセージです♪

筋肉痛が緩解してよかったですねーー*(^o^)/*\(^o^)/
きょうも前田さんへ”大大大エール”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

筋肉痛は緩解

5月21日(火曜日)。目覚めると部屋の中には、昼間の光と思わす、満天晴れた朝が訪れていました。満腔は気分よく緩んでいました。ただそのせいで寝過ごし、執筆時間の圧迫を被っています。ゆえに、文章は書けず、諦めました。ウグイスは鳴いています。私は泣いています。だから、一つだけうれしいことを記して、文章を閉じます。他事ながら、筋肉痛は緩解しました。

♪古閑さんへメッセージです♪

古閑さん、アドバイスをありがとうございます*(^o^)/*
いろいろ試してみたい、と思います。
大切に育てます♪♪

高橋さんへ

 高橋さん、クリスマスローズと、くちなしの花を購入されたんですね。大事に育ててください。我が家でもくちなしの花は地植えであります。ネットで見たところくちなしの花は外に置くのがおすすめと書いてありました。その他にも水やりや肥料等書いてありましたがここではしつこくなるので省略します。

♪HIROKIのタレント日記♪

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《今頃クリスマスローズ&2代目くちなしを購入!!》
この『現代文藝社の掲示板』の御常連様で、いつも『庭の花』と題して、綺麗な花々の画像をたくさん投稿してくださる古閑忠義氏の影響”大大大”で、今頃(笑)クリスマスローズを購入しました(大笑)。
本当は、リアルタイムの冬季に購入したかったのですが、小さなポットでの販売しかなく、大きな鉢が欲しかったぼくは泣く泣く見送っていました↓↓
しかーし!! この時季に及んで、いきなり1鉢だけ置いてありましたので、2代目くちなしとともに迷わず購入しました!!
開花の時期を過ぎていますが、今年の冬の花盛りを目指して大切に育てて行きたいと思います。
花屋のおねえさんに「何故この時季に販売しているの?」と尋ねるも、「はて〜〜?? 」「さて〜〜??」と、スッとボケられてしまいました(大笑)。おそらく売れ残り? だったんでしょうね(笑)。
初代くちなしは、植え替えたにもかかわらず、枯れてしまいました↓
春〜夏の西日は、花々にとっては強烈過ぎるようで、初代くちなしは、これが原因ではないかな、と思っています。
くちなしは半日陰でも育つ、そうなので、2代目は、二重カーテン越しの空間に置いて、晴天の日は、午前中だけ日に当てよう、と考えています。
以上、今頃クリスマスローズ&2代目くちなし購入の話でしたーー♪♪

よみがえる、ふるさと慕情と肉親愛

5月20日(月曜日)。雨の夜明けの空を静かに眺めながら生きている。今や「ひぐらしの記」は、生きている証しを表すだけの文章に成り下がっている。なさけなく、恥ずべき状態である。しかし、恥をかくことは厭わない。なぜなら、恥晒しを恥ずかしいと思えば、もとよりこの世にわが生存はない。私にかぎらず人みな、生きる苦しみに耐え、恥をかきながらこの世に生きている。人々の生き様は、日々メディアを通して伝えられてくる。国内外の情報において、それらを見聞すれば、そう思いたくなる「人の世の業(ごう)」である。嗚呼、起きて、私はこんな愚の骨頂のことを書いている。それでも、机上に頬杖をついて、雨の夜明けを眺めているのは幸運である。なぜならやがて、病床に横臥すればこれしきのことさえできない。頬杖をついて物思いに耽っていると、音なくそぼ降る雨のせいなのか。来し方の様々なことがよみがえり、浮かんで来る。真っ先に浮かんだのは、梅雨入りにかかわるふるさと慕情である。沖縄県はきのう、梅雨入りした。すると、同じ九州圏にあるふるさと・熊本県の梅雨入りも、まもなくであろう。よみがえる梅雨入り前の村人たちの仕事には、麦の刈り取りと収納がある。それが済むと近づく田植えに備えて、苗床作りがある。この後は梅雨、いや雨を頼りにして田植えが始まり、田園風景はしだいに美的水田風景を成してくる。梅雨が鬱陶しいとか、仕事が忙しいとか言っておれない農家の、雨すがりの半ばうれしい好季節である。寝起きの瞼の中に、父と母の姿、姉や兄の面影が浮かんでいる。生きている私がさずかる、ふるさと慕情と肉親愛である。

私は幸運児(爺)

5月19日(日曜日)。梅雨の走りみたいなどんよりとした、夜明けが訪れている。つれて、わが気分もどんよりとしている。しかしこの時間、地震さえ起きなければ、わが気分は穏やかである。いつもの寝起きに違わず、ネタ無しでパソコンの起ち上げにある。だからと言って出まかせで書けるほどには、文章は容易くない。就寝中は悪夢に魘され、目覚めれば文章のネタ探しに苛まれる。挙句、心中ではしょっちゅう、(もう書けない、もう書かない)という、さ迷う決断を強いられている。これまでの私は何度、こんなフレーズを繰り返し記してきたことだろう。決断(力)の鈍さは、わが生来の優柔不断の証しとはいえ、つくづくなさけなく思うところである。ゆえに現在の私は、意識して自己慰安に努めている。六十(歳)の手習いにしてはこれまで、私はたくさんの文章を書いてきた。だからもう、書き足りないことなどまったくない。いや、反吐が出るほどに十分に書き尽くしている。半面、その確かな証しはネタ切れにともない、様にならないこんな文章である。道理、書かなければ、恥を晒すことはない。書くから、恥を晒すのである。間抜けにさずかり私は、恥を晒すことを厭わないのかもしれない。いや、恥晒しには慣れっこになり、今ではその利得にあずかっているのかもしれない。なぜなら恥晒しは、わが生きるエネルギーの一端を成し、そして恥と抱き合わせの愚痴こぼしは、文章の継続の支えを成している。わが文章書きは、常に呻吟・苦衷にまみれである。それでも、書き続けていることにより私は、数多の幸運にありついてきた。私は幸運児(爺)である。幸運のいくつを記すと、これらが浮かんで来る。定年後の生活がぐうたらにならずに済んでいること。加齢が進むにつれて遠のくはずの人様との交流は、途絶えず続いていること。絶えず心中に語彙を浮かべていることで、認知症の予防を成していること。書けば、大沢さまのご好意にさずかり、単行本に編まれて、わが宿願を叶えていただいていること。書き続けていることでふるさと慕情、さらにはまぼろしになりかけている肉親愛(親、きょうだい)は、眼前にいや増してよみがえる。この先を書けば、かぎりなくだらだら文となる。ゆえに、このくらいで書き止めである。ネタ無し文章は、ほとほと骨の折れる難行である。確かに、継続是非の決断を迫られている。しかし書けば、しがないわが身に余る果報、僥倖もある。朝日、先送りの曇り空である。

♪前田さんへメッセージです2♪

自分だけの力では、どうすることもできないことが、世の中の常ですが、前田さんの本日の『ひぐらしの記』は、『知友、あまた多し』とのタイトルで、素晴しく思っております☆☆☆☆☆☆☆

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

大沢先生は、『私の畑』と『望月窯畑』の2か所で、作物や花々をたくさん育てられていて、なによりだと思っています♪♪