坂本弘司撮影 背景の山々からすると、建物の形も保養所みたい。でも手前に遊具がチラホラ見えているので、公園みたい。でも画像の保存名から内田小学校とバレた。 5月27日(月曜日)。梅雨入り近し。梅雨空模様の夜明けが訪れている。ずる休みではない。感動にまみれて、全文引用文にすがる。【新小結・大の里が史上最速Vの快挙!幕下デビュー7場所目で涙の初賜杯、本割で阿炎を圧倒し12勝3敗【大相撲夏場所】5/26(日) 17:19配信TBS NEWS DIG Powered by JNN】単独トップの新小結・大の里(23・二所ノ関部屋、日体大出身)が関脇・阿炎(30・錣山部屋)を押し出しで下し、12勝3敗で悲願の初優勝を果たした。初土俵から7場所目の優勝は、幕下付け出しでは横綱・輪島の15場所を大きく塗り替える“史上最速V”の快挙となった。結び前の一番で大の里は立ち合い、阿炎の突き押しで一歩下がるも一気に前に出て土俵際に攻め込み、そのまま押し出しで圧倒した。大記録達成に国技館は大歓声に包まれ、土俵下では涙を拭うシーンも。14日目を終えて阿炎を含め、4敗で琴櫻、豊昇龍、大栄翔の4人が1差で逆転優勝を狙ったが、単独トップの大の里が千秋楽本割で勝利し終盤の大混戦を制した。先場所は尊富士(25・伊勢ケ浜部屋、日大出身)が初土俵から所要10場所目(幕下・三段目付出を除く)での“史上最速V”を達成したばかり。昨年5月場所に幕下付け出しで初土俵を踏んだ大の里は、7場所目で故郷石川県出身の大先輩でもある輪島の記録を超えた。石川県出身力士の優勝は横綱・輪島、元大関の出島に続く3人目。大の里は新入幕の初場所で11勝、3月の春場所でも11勝と入幕から3場所続けて優勝争いに絡む活躍。今場所は初めて単独トップで千秋楽に挑み、初賜杯を手にした。直近3場所で合計34勝に到達。 新三役で迎えた今場所は初日に横綱・照ノ富士を破り好スタートを切ったが2日目で高安に敗れる。3日目から6連勝で大関・霧島、琴櫻も撃破。9日目に平幕・平戸海、11日目に大関・豊昇龍に敗れたが12日目から星を落とさず栄冠に。先場所までざんばら髪だったが、初めてまげを結って挑んだ場所で見事“ちょんまげV”を達成。三賞は2場所連続の技能賞、さらに優勝が条件となっていた殊勲賞を初受賞。新入幕から3場所続けての三賞獲得となった。 ふうちゃん。久しぶり、癒しの写真ありがとう。どこかかな?小学校それとも中学校? 5月26日(日曜日)。風雨なく晴れて、のどかな夜明けが訪れている。ところがわが心象は、どん詰まり状態にある。文章が書けない。ゆえに、書けない苦痛に苛まれている。わが文章は、職業や仕事ではない。だから、書けないときは休み、書けるときだけ書けばいい。おのずから、自分自身に課している鉄則である。しかし、この鉄則には常に危惧がともなっている。危惧とは文字どおり、休めば再びの始動のない惧れである。それを惧れて私は、いやいや気分でパソコンを起ち上げる。もとより、気乗りのしない文章では、気分が晴れることはない。だから心中には、(もう、潮時、潮時…)と、恨み節を唱えている。ここまで、ネタを誘い出す序文とは言えない、どん詰まりの嘆き文を書いた。だったらこの先は書かずに、おしまいにしたほうが身のためである。ところが一方では、継続の途絶えに怯えている。なぜなら、わが文章の唯一の取り柄は継続だけである。もちろん継続には、常に駄文に付きまとう恥晒しがある。ところが幸いにも私は、恥晒しを厭(いと)わない。なぜなら、恥晒しを恥と思えば文章は書けない。さて、関東地方の梅雨入り宣言はまもなくであろうか。梅雨の季節を謳歌するアジサイは、濃緑一色の大葉の中に、艶々の白い小玉が日々色づいて膨らんでいる。これは気象庁の梅雨入り宣言を待つまでもなく、確かな梅雨入り近しの証しである。梅雨は、人間にとっては鬱陶しい自然界現象である。反面、人間に恵む特等の自然界現象である。農家出身の私は、体験的にこの思いが一入(ひとしお)である。そしてこの点、梅雨を毛嫌いするばかりでないことは、勿怪(もっけ)の幸いである。心して私は、梅雨の鬱陶しさに耐える気構えは十分である。父は蓑笠、私は雨合羽を着けて、共に田植えに向かった光景がなつかしく偲ばれる。ネタ探しにともなう、よみがえるふるさと情景である。そしてそれは、嘆きながらも書いた報酬、すなわち愉しみの一つをもたらしている。「ネタ探しは愉しみ探し」。こう嘯(うそぶ)ききれないのは、やはり潮時なのかもしれない。梅雨入り前にはいろんな思いが駆けめぐる。夜明けの晴れ模様は、時が経ちどんよりとした梅雨空へ変わっている。 5月25日(土曜日)。未だ薄暗い夜明けが訪れている。ただ雨はなく、明ければ晴れの夜明けになりそうである。早起き鳥(鶏)を真似て、ウグイスが鳴いている。ウグイスの就寝時間はどれぐらいであろうか。安眠や熟睡に恵まれているであろうか。それとも二度寝にありつけず、やむなく起き出しているのか。たまには、悪夢に魘(うな)されることもあろう。住み慣れた塒(ねぐら)があるとはいえ、雨・風・嵐など防げず、さらには蛇、カラス、モズあるいは大鳥、野獣など取り巻く野の生活は、さぞかし厳しいだろうゆえに同情心、沸き立つばかりである。ウグイスの鳴き声には、わが起き立ての心身を解(ほぐ)すさわやかさがある。だからウグイスは、わが一日の始動を共にする、運命共同体の位置にある。私は、ウグイスにはいくら感謝してもしきれない。さて、昨夜のナイター・阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦(阪神甲子園球場)において、わがファンとするタイガースは、戸郷投手に「ノーヒットノーラン(ヒット無し・無安打)」を食らって、0対1で負けた。しかし、戸郷投手を称えて、悔しさは微塵もない。現在、開催中の大相撲5月場所(東京都墨田区横網・国技館)においては、小結・大の里(二所ノ関部屋)の強さが際立っている。私は(すぐに横綱になるだろう)と思い、さわやかな気分でスピード出世を愉しんでいる。プロ野球と大相撲のテレビ観戦は、共にわが日常生活(茶の間)における享楽を恵んでいる。確かにこの享楽は、人生の晩年を生きる私への棚ぼたのほどこし(プレゼント)である。今や、自力本願では享楽にありつけず、人様(他力本願)すがりである。すると、最も手っ取り早いのは、様々なスポーツのテレビ観戦である。とりわけ私の場合は、野球のタイガース戦と、大相撲のテレビ観戦に張り付いている。かつては国会中継もよく観ていたけれど、今は呆れて観る気がしていない。朝のテレビ小説「虎に翼」と、大河「光る君へ」も視聴はするけれど、スポーツのテレビ観戦ほどには、ワクワク感にありつけない。自分自身が生み出す享楽はないものか。それは叶わず、終生、闇の中に蹲(うずくま)っている。人生の晩年にあって、「享楽探し」は欲張りなのであろう。望んでいた朝日は現れず、雲行き怪しい夜明けである。 5月24日(金曜日)。真夜中に目覚めて、二度寝にありつけず、寝床で悶々として夜明けが訪れている。筋肉痛は、すっかり緩解している。ゆえに、不快(感)の一つは消えている。しかし、人生の晩年を生きる私には、まだ多くの不快事がある。ただ、どれもこれもがどう藻搔いても、解決をみないものばかりである。だったら、嘆くだけ大損である。わかっちゃいるけど、嘆くのはわが生来のマイナス思考の祟りである。ネタのない文章は、ほとほと哀れである。パソコンがなければ、こんななさけない文章は書かないで済むのに。恨みは、とんだ的外れである。生きていればネタは、あちこちに転がっている。それを拾いきれないのは、わが能力(脳力)の欠乏のせいである。つくづく歯がゆいと思う、寝起きのわが心境である。いつも、ネタ無しを真っ先に救うのは望郷である。望郷には、歳月の隔たりはない。いや、歳月が遠くにあればそのぶん、望郷はいや増してくる。心象の醸す情念は、確かに人間のみがさずかる特権である。故郷には今は亡き、父、母、きょうだいたちがいた。現在は、たくさんの甥や姪たちがいる。これらこぞって、わが望郷の念をつのらせる。望郷の念は、人にかぎるものではない。人を取り巻く、山河自然が輪をかける。わが家の庭先から、始終眺めていた借景「相良山」。わが家の裏を流れている「内田川」。わが家の前景そして後景に広がる田園風景。春は菜の花に飛び交うモンシロチョウ。畦道や原っぱに萌えるツクシンボ。クヌギ林のクワガタ捕り。里山のメジロ落とし(捕り)。梅雨の合間の田植えやホタル狩り。夏は内田川の水浴びと魚取り。秋は指先に止まる赤とんぼ。冬は家族そろって、炬燵の中での炭火餅焼き。どれもこれもが望郷を掻き立てる。きょうのネタ切れは、望郷に救われたのである。ウグイスが鳴いている。望郷を繋げれば、縁の下の鶏の鳴き声、座敷の柱時計の音、共にも懐かしく望郷を掻き立てる。朝日輝く、のどかな朝ぼらけである。無念、後れて、眠気が襲っている。 5月23日(木曜日)。曇り空を薄めて、朝日が射し始めている。梅雨入り宣言を控えて、束の間ののどかな朝ぼらけなのかもしれない。ウグイスは、朝っぱらから猛烈に鳴いている。「梅雨入り近し」を体感し、焦っているのかもしれない。気象庁はおととい(5月21日)、沖縄・奄美地方の梅雨入りを宣言した。昨年より十日ほど遅いという。ところが私は、先日の文章でこれより先に、沖縄県の梅雨入りのことを書いた。もちろん、わが嘘っぱちではなく、それはメディア情報に基づいている。しかしながら省みれば、気象庁の正規の宣言ではなかったのかもしれない。すると、私は騙されて恥をかいたことになり、ここで詫びることとなる。もとより、恥晒しは厭わない。けれど、恥晒しを厭わなくなれば人間(私)は、生きる価値はなしとは言えないが、もはやおしまいである。そして先駆けて、こんな文章を書き続けるのは、もうおしまいにしたくなる。これまでの私は、文章書きを何度か、昼間への移行を試みた。しかし、すぐに元の木阿弥なり、目覚めて寝起きの文章書きに復している。わが生来の三日坊主の祟りである。挙句、執筆時間の切迫に苛まれて、体(てい)を成さない文章を書き続けている。こんな言い訳をする現在の心境は、なさけなくみすぼらしい状態にある。究極、面汚(つらよご)しの継続だけの文章に成り下がっている。これまた、詫びるところである。ここで文を閉じればまさしく面汚しである。ゆえに、現下の日本社会の世相の一端を書き留める。すると、真っ先に浮かぶのは、いろんな物の値上がりである。これにちなんできのうは、この秋から郵便料金の値上げが予告された。身近な手紙や葉書、その他諸々の料金が大幅値上げである。私はすぐに、大沢さまのご好意へ思いを馳せた。これまでの私は、大沢さまにはいろんなところで、郵便料金の無償(ただ)にあずかっている。そのたびに感謝と同時に、わが気分は申し訳なさで沈んだ。ゆえに値上げののちは、「ただ」は改めなければならないと思う。このことを記して、文章は結文とする。政府は物価の値上がりに見合う、給料や賃金の上昇要請に躍起である。ところが、日本社会にあっては、給料や賃金にありつけない人多しである。ゆえにこののち、格差社会はいや増すばかりである。このところは、その走りと思える凶悪事件が増えている。政府には党利党略が見え透いた、給料や賃金の上昇要請はほどほどにして、悪の根源(物価上昇)を断つ舵取りを願うところである。ウグイスはいいなあ…、物の値上がりを知らず、鳴くばかりである。
はて? 私が訪れたところではないようです。
ふうたろうさんの散歩コースなのかしら。それとも懐かしくなって訪れたのかしら。よい写真をありがとうございます。大相撲界は地殻変動、「驚天動地、大の里、優勝」
どこかな?
梅雨入り前の心象風景
欲張りの「享楽探し」
ネタ切れを救うのは「望郷」
朝が来た
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