他郷・能登半島に馳せる、わが思い

1月19日(金曜日)。起き立ての現在(5:09)、鎌倉地方は寒気が緩んでいる。これだけでも、極端に寒がりやの私には、棚ぼたに思えている僥倖である。しかしながら現在の私は、わが身にかかわる寒気の緩みばかりを望んではいない。いや、わが身は寒気に震えても天の配剤により、能登半島を中心とする被災地の寒気が緩んでほしいと、願っている。もちろん、「鬼の目にも涙」、とは言いたくない。実在する、優しい人間の涙である。老い耄れのわが身にもまだ、人間らしい慈愛の心が残っている。おのずから、ほっとする。人間は、知らぬ者同士のもたれ合いで、生きている。なまじ、不断知り合っていると、要らぬ羨望や僻み総じて邪気が生じて、純粋のもたれ合いや互いの慈愛の心は翳りがちになる。ひるがえってこれすなわち、隣近所の助け合いより、ボランティア精神にこそ、人間の尊厳さと活動の有難味が存在する。いずれはわが身もまた、震災には遭わなくとも、どんなかたちでか? 他人様から思わぬ慈愛を賜ることとなろう。老いの身につきまとう悲しさである。現在、被災地の寒気は緩んでいるであろうか。私は、そうあってほしいと願っている。なぜなら、きのうのNHKテレビニュースの映像には、わが身に堪えるこんな映像が流れてきた。私は目頭に涙を溜めて、荒ぶる日本海に突き出ている能登半島の寒気を思いやった。もちろん、居もしない想像上の鬼の涙ではなく、老いの身のわが目頭に溢れる涙だった。「フローリングや板張りの床は、何枚も何枚も毛布や布団を重ねて身を覆っても、からだが冷えます」と、言われた避難者がおられた。一方では冷えを防ぐために、段ボールだけを用いて、大急ぎでベッドづくりに励まれる人の姿が現れた。こちらは「すべて、段ボールだけでの作りだけど、150キロの体重にも耐えられます。床に敷物を敷いて寝るより、暖かさは特段です」と、作業員のひとりが言われた。こののち、作り立ての「段ボールベッド」に寝転んでほほ笑む、若い女性の姿が映し出された。民放テレビの広告宣伝一辺倒の念入りにこしらえた画像ではなく、NHKテレビニュースが報じた、ありのままの被災地状況の一端である。どちらの映像もわが目がとらえて、私は被災地の寒気の緩みを願った。観終えると、溜まって溢れ出そうになっていた涙が、茶の間の畳の上にポロポロと落ちた。板張りに据え置くガスストーブは、熱すぎるほどにわが身と妻のからだを温めていた。能登半島は雨降りでもいい。いっときでもいい、寒気が緩んでほしと願う、夜明け前にある。ほとほと、切ない一文である。いや切ないのは、寒気に震える被災地、被災者、はたまたフローリングや板張りの床に寝泊まりする避難者たちである。きょうもまた、わがネタは能登半島である。ネタぎれでも、もう能登半島のネタは望んでいない。能登半島はわが心中の美景であってほしい。願うはただ一点、このことだけである。