俺はしぃちゃが羨ましかっ!

 俺は長男でも、しいちゃんや大沢さんのような名門一家でもなく、小作人五反百姓の分家の分家の長男である。本家から「おい、駒雄(親父の名)、ちょつ来てくれ」と呼ばれると、親父は本家に飛んで行った。邑には入会権といわれる共同林があり、杉を売れば一軒に30万円(当時の金)の配当があった。しかし、分家の俺の家には、半分の15万円しか、配当はなかった。
 杉が売れるようになるには、植林から50年かかる。その間、植林、雑草狩り、間伐などの作業に、30万円の配当、15万円配当も、同じに行かなければならない。
 俺は大学に行ける成績でもなかった。あの地におれば、分家の分家の長男で暮らさなけれはならなかった。本家から「おい、文昭、ちょと来てくれ」と呼ばれれば、駆け付けなければならず、共同林作業も、半人前としか認められなかったであろう。
 俺は、小学校の高学年になると、あそこから旅立つことばかり夢見ていた。それを簡単にできる生い立ちの「しぃちやん」が羨ましかった。