大玉西瓜の魅力

 7月22日(土曜日)、夜更けを引き継いだ夜明け前にある(3:43)。パソコンを起ち上げて、脈絡なく浮かべている事柄を書いてみる。一つは、このところのテレビニュースを観るかぎり、ロシアとウクライナの戦争は、世界戦争への突入の様相(予感)を深めている。一つは、これまたきのうの悲しいテレビニュースである。福岡県のある町のある川では夏休み初日にあって、水浴びをしていた児童8人のうち、3人が溺れ死んだという。すぐに、わが児童の頃の夏休みを想起して、いたたまれないニュースだった。なぜなら私も、夏休みの初日から猿股パンツ一つで、わが家の裏を流れている「内田川」へ飛び込んでいた。つらく、惨(むご)たらしいニュースだった。ニュースに映し出された現場(川)の映像を私は、映像が消えるまで涙あふれて見続けていた。今なお、無念きわまりない。
 三つめは、これらとはまったく場違いであるけれど、浮かべていたかぎりは書き留めるものである。それは、きのうの文章で書き忘れていたことの付け足しである。題して、「大玉西瓜の魅力」である。これまた、ランダムに書き添えるものである。すなわち、美味しさのほかに、大玉西瓜に感じる魅力である。一つは、かかえたおりに感ずるスベスベツヤツヤする快い触感である。まるで、丸い地球をかかえているような快感でもある。次もまた、快感の重なりである。まずは、無傷の大玉西瓜に包丁を入れた瞬間の、バリバリ音の心地良さである。次には、半月に割った西瓜の真っ赤な色合いの快感である。あらかじめ知らされた黄色い実の西瓜を割ったことがあるけれど、ところがこの快感はなく、やはり西瓜は赤玉にかぎるところがある。最後は、盆皿に並んだ三日月形の西瓜を食べる楽しさとうれしさである。それをムシャクシャ食べると、涎と汁がポタポタ落ちてくる。すばやく母は、手拭いを持って来て、わが膝元に広げた。
 きょうの文章は、これらのことを書いて終わりである。この先、夜明けまでの空き時間をどうするか。思案のしどころではある(4:12)。