冬が去り、めぐってきた「春分の日」(3月21日・火曜日)。まさしく頃は良し、「暑さ寒さも彼岸まで」。きょうを境に私は、冬防寒重装備を脱ぎ捨てる。起きて、季節の良さを表す、一つの成句を浮かべている。「春眠暁を覚えず」。ところが、私の場合はこれに逆らって、「早起き鳥」の状態にある。てっきり、心の病の証しなのかもしれない。老いは、わが歩く姿と心境の変化をもたらしている。生来、恥ずかしやの私は、仕方なく、杖代わりに妻の手を引いてノロノロと歩いている。自分自身これまで、心中に浮かべたこともない光景であり、「清水の舞台」から飛び降りるほどの心境の変化である。確かな、わが老いの惨めさでもある。しかし、妻との年齢差(三つ)からすれば、本当は逆にもなり得たのである。ところがそれが、図らずもこうなったのは、妻の転倒による骨折、入院、手術、そして退院後のリハビリによるものである。だから私は、妻の悔しさを慮り、柄になく、妻への労わり心をたずさえて歩いている。確かに、共に「年には逆らえない」けれど、飛んだ早すぎる「妻の災難」だったのである。以来、共に「泣けてくる」。頃良い「春分の日」にあって、こんな文章しか書けないようでは、「ひぐらしの記」は、そろそろおしまいである。夜明けの空は、のどかな朝ぼらけである。