私の「幸福」

3月19日(日曜日)。未だ夜明け前(4:34)にあって、きょうの天気はわからない。きのうの彼岸の入り日は、雨風強い大嵐だった。私も驚いたけれど、開き始めの桜の花も、さぞかし驚いたことであろう。しかしながら自然界は、大嵐とて一日くらいで済み、きょうあたりは穏やかな春日を恵むであろう。なぜなら、仲間のせっかくの花便りを無為にすることはないであろう。自然界は、百花斉放・百花繚乱の季節にある。自然界に比べれば、人間界は愚かである。異国では、期間限定の無い戦争が続いている。戦地や戦場ではなく、テレビ画像で見るだけでも、人間の愚かさと虚しさに打ちひしがれる。人間の幸不幸は、生まれた国、生まれた年代、折々の社会情勢の違いで、こうも異なるのかと、日々実感するところである。本当であれば無限の動物の中で、唯一人間として生まれたことは、最大の幸福のはずである。ところがそうとは言い切れない、現下の人間事情である。翻って、私自身は幸福である。日々、くだらない文章を書いても、咎められることはない。近眼、難聴、虫歯、そしてたまの口内炎の発症はあるものの、我慢さえすれば健康体である。血液検査に出る異常値は、クレアチニン(腎)とLDL(悪玉コレステロール)に見られるものの、気にしても仕方がない。何よりも、血圧と心電図は正常である。生きるための肝心要の食欲は、三度の御飯では飽き足らず、なおひっきりなしに間食を加えてもまだ足りず、手あたりしだいの駄菓子の餓鬼食いで凌いでいる。知恵や知能に恵まれない者、すなわち私の幸福は、これらの証しで十分であろう。まったくみすぼらしいけれど、十分満足すべき「わが幸福論」である。どういう風の吹き回しなのか、きょうの私は起きて、こんなことを書きたくなっていた。たぶん、異国における長引く戦争の惨禍を観るに忍びないせいであろう。夜明けの空は、どんよりした曇り空である。このまま昼間になれば、花曇りと呼ばれそうである。