春三月のわが誓い

3月5日(日曜日)、ホームストレッチを走り、いっそう日長が加速する頃にあっても、未だ真っ暗闇の夜明け前にある。かつて文章を学んでいた「日本随筆家協会」の故神尾久義編集長は、春三月になれば決まって、こんな言葉でわが怠惰心を励まされた。「前田さん。文章が書き易い、春になりました。頑張ってください」。私はこの言葉に励まされて、冬の心、すなわち寒気で委縮していた怠け心を遠ざけた。なさけない過去物語、いや、つらい思い出である。確かに私は、人様の励ましにすがる生来の怠け者である。その証しに私は、ようやく寒気が離れる2月の末あたり(27日)から、正真正銘の暖かい春三月の訪れのきのう(3月4日)まで、文章を休んだ。言い訳を添えれば単なるずる休みではなく、体調不良に見舞われて書く気分を殺がれていたのである。それでも心強い人は、書き続けたはずである。ところが私は、負けた弱虫である。しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」。すなわち私は、挫けたわが心を励ましてくださる、現人神(あらひとがみ)の恵みに救われたのである。私の場合、不断から神様への信仰心はまったくない。だから神様に替えて、信仰心にも似て尊愛するのは、人様から賜る温情と恩情である。ひとことで言えばそれは、人様から賜る「情け」である。きのうの夕方、わが家の固定電話のベルが鳴った。受話器を手にしたのは、リハビリ中の妻だった。私は、日長ゆえに暮れ泥(なず)窓から射し込む薄い日の光の下、湯船の中にいた。きのうの私は、久しぶりに卓球クラブへ出向いていたのである。集音機を外したわが耳にくっつくようにして、妻は数々の言葉を大声で告げた。とぎれとぎれに聞こえる言葉の中で、こう言葉を整理した。「パパ。文章のことで、渡部さんから、電話があったよ。続いている文章がないからと言って、心配してくださってされていたのよ。とてみ、ありがいじゃないの、すぐに電話しなさいよ!」「そうだろうなー。このところ、文章書いていないもんな。わっかったよ。ありがたい人だねー。風呂から出たら、すぐに電話するよ」。私は湯船から出て、急いで着衣を済ますと、渡部さんへ折り返しの電話を掛けた。現在、私は82歳の幸運児である。わが生涯において幸運を齎(もたら)しているのは、親や兄姉の愛情である。ところがこれは、あたりまえの愛情であり、幸運の埒外にある。つまるところわが生涯における最良かつ最大の幸運は、友人・知人すなわち他人様との知己に恵まれたことである。「ひぐらしの記」にかかわることでは、大沢さまはじめ掲示板を通してさずかる声と、声なき恩愛である。わが生活を支えることでは、飛びっきりの優良会社に入社し、そのことで精神を支えてくれる飛びっきりの同期仲間に恵まれたことである。それらの中にあって渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)は、飛びっきりの友人、いや恩人である。「ひぐらしの記」の単行本いたっては、創刊号以来直近の第85集まで、有償購入にあずかっている。それゆえこの文章は、渡部さんの激励に背いてはならないという、再始動文である。「前田さんの文章を読むのは、ぼくの朝の楽しみです」。神尾編集長は、金をはたいて一時期遭遇した恩人である。ところが渡部さんは、多額のお金を持ち出されて(自弁)までして、一週間とて間を置かず生涯にわたる恩人である。「渡部さん、がんばります」。春三月のわが誓いである。