「トルコとシリア」地震

2月13日(月曜日)、デジタル時刻は4:00と刻まれている。起き立てにあって、寒気はまったく感じられない。もちろんこのことは、大いに喜ばしいところである。しかしながらこの時季にあって、こんなにも寒気が遠のいていることには、不気味すなわち心穏やかでないものがある。それは天変地異、なかんずく地震でも、今まさに起きるのではないかという恐れである。地震は、時や所かまわず起きるからである。人間にとって地震は、まったく予知や防備、すなわちまったく抗(あらが)えない恐怖のイの一番に位置している。パソコンを起ち上げるといつもの習性に倣い、私はメディアの伝えるニュース項目を一瞥した。すると、真っ先に気懸りになったのは、このニュースである。【トルコ・シリア地震 死者3万人超】(2/12・日曜日、23:25 朝日新聞デジタル)。「トルコ・シリアの地震死者3万3千人超共同通信。【カフラマンマラシュ共同】トルコ南部を震源に発生した大地震で、トルコと隣国シリアの当局などによると、両国で確認された死者は12日、計3万3千人を超えた」。地震が起きると規模の大小にかかわらず、いつも悲惨きわまりない。このたびの「トルコとシリア」は、まったく未知の国である。それでも、人間であれば心の痛みは、日本国内の地震と同様でありたいものだと、わが心を諫(いさ)め諭(さと)している。なぜなら、地震にかぎらず天変地異の恐怖は、「あすはわが身」である。いつものことだけれど異常気象には、天変地異の恐れが付き纏うところがある。天気予報によれば、きょうの寒気の緩みは、明日には寒気へ戻るという。異常気象でなければ、寒さが堪えても、気分の休まるところはある。いや、このたびの「トルコとシリアの地震」をテレビニュースで観るかぎり、気分を休めてはいけないのかもしれない。地震と新型コロナウイルス、もちろんこれらだけでなく、人間は常に天災や魔界のしわざに脅かされている。災害に無傷に生きていることは幸福である。私はトルコとシリア、そしてその国の人々の災難を慮(おもんぱか)ってはいる。しかし、人様の災難や不幸にかこつけて、わが幸福を呟くようではなさけなく、こころ貧(まず)しいわがお里の知れるところである。