春の証しの寝坊助

 2月2日(木曜日)、「春眠暁を覚えず」の候にはまだ早いけれど、久々に寝坊助を被り心が焦っている。そのため、きょうは休もうと思いながら、パソコンを起ち上げている。夜明けの明かりは未だないけれど、デジタル時刻は6:13と刻まれている。いつもは真夜中とも言える頃に起き出しており、それゆえこんな時間の起き出しは喜ぶべきであろう。なぜなら、目覚めの気分はやはり爽快である。しかし一方、文章を書く時間は圧迫されて、文字どおり走り書きで急いでいる。
 旧年の「冬至」から「春分の日」(3月21日)までには半ばほどを過ぎて、夜明けの早さも半ばどきにある。しかしながら現在は、いまだに夜のたたずまいである。このことではきょうは、朝日の見えない夜明けなのであろうか。それとも、雨模様、あるいは曇り空の夜明けなのであろうか。文章の拙さの自業自得とはゆえ、このところ掲示板を覗かれる人の数は、かなり減りがちである。すると、こんな文章では多分、さらにその傾向に加速度を増し、拍車がかかりそうである。
 このところ私は、生来のマイナス思考を意識的にプラス思考へ変えている。しかし、心許ないたったの五日目である。だから、この決意の頓挫を恐れている。だから、あえてそのことを愚痴こぼしはしない。いや、「一寸の虫にも五分の魂」、この屈辱を跳ね返し、頑張ろうと思っている。きょうの文章は、この決意を確かめて、この先は書き止めである。現在時刻は、6:31へと進んでいる。
 夜は薄く明けて、朝日の見えない曇り空である。寒気は、はるかかなたへ遠のいている。明日は「節分」、明ければ「立春」である。紛れもなく「春はあけぼの…」の候が近づいている。きょうの文章の取り柄は、「生きている証し」である。いや寝坊助を被り、心焦って、生きている証しである。