大晦日

12月31日(土曜日)。未だ夜中のデジタル時刻(2:56)の起き立てにあって、電子辞書を開いて幼稚園児さえ知る言葉の説明書きを読む。「大晦日」:(各月の「みそか」に対して)1年の最終日。おおつごもり。おおとし。「みそか」(三十日・晦日):月の第30番目の日。転じて、月の末日をいう。尽日。つごもり。「除夜の鐘」:除夜の夜半、正(ね)の刻に諸方の寺で、百八煩悩を除去する意を寓して108回撞く鐘。「除夜」:(「除日(じょじつ)の夜」の意)おおみそかの夜。除夕(じょせき)。令和4年(2022年)の漢字一字は「戦」という。この一年、わが文章は愚痴こぼしに塗れた。それゆえにわが身にまつわる今年の漢字一字は、「愚」ないし「痴」が適当である。正直な気持ち、なさけない思いがあふれている。だから、大晦日のきょうだけは、愚痴こぼしやまみれの文章は避けたいと、肝に銘じている。しかしながら人間はだれしも、愚痴をいだいて生きている。ところが多くの人は、愚痴をこぼすことを憚(はばか)り、心中に隠しながら生きている。ところが私の場合は、隠しきれずに生きている。そしてなおかつ私は、ブログという不特定多数の人の目に晒している。つくづく、バカな私である。しかし半面、嘘のつけない生真面目な正直人間の証しではある。いや、狭量な人間の証しである。すなわち、人間はだれしも、生存にあっては様々な愚痴の要素をかかえている。それを堪(こら)えることができるか、それともできずにこぼすか。究極は、人間の器の大小、人間性の良否に分かれる。私の場合は、もちろん「小、否」である。「大晦日」にあって「除夜の鐘」ひびくきょうだけは、心して愚痴こぼしの文章は書かない。すると、この先が書けない、長い夜となる。一年間、駄文を綴ったことを謝し、そしてそれを読んでくださったことに感謝し、御礼の志を記して、今年の書き止め文とするものである。年賀状にかえて、声なき声のご常連の皆様のご多幸を切に願うところである。「人間、塞翁が馬」、悩むことはない。私自身に対する、諦めというか、戒めの成句である。まだデジタル時刻は、4:13の刻みにある。おお、寒い。