令和4年の「冬至」(12月22日・木曜日)の夜明け前にある。起き立ての私は、わが身を震わす寒気に耐えている。カレンダー上には日々折々に、一年めぐりを刻む季節用語が様々に記されている。加えて、中国伝来の語と言われる二十四節気をはじめ多くの節気が記されている。さらには一年中の折々の歳時、すなわち自然・人事百般のことを編んだ歳時記から抜粋の事柄など、ほかにも多々記されている。わが凡庸な脳髄は、到底これらを学び尽くし、それらの意味を覚えきれるものではない。もし仮に、私が気象予報士にでもなろうと思えば、これらの季節用語や歳時記に記載されている事柄は、必定の出題範囲として勉強せざるを得ないであろう。このことではカレンダーは、まさしく人間の一年中の日暮らしのあり方を示す、最良の道しるべである。もちろん、カレンダーに記載の言葉を学び尽くし、それに応じた日暮らしを続ければ、豊かな人生の一助になること請け合いである。しかしながら私にかぎらずだれしも、もとよりそれを叶えることは不可能である。さて、冬至。もちろん私は、冬至すなわち、太陽をめぐる気象や科学など、学問的意味にはまったく珍紛漢紛(チンプンカンプン)である。冬至にまつわるわが知識の一つは、一年中で最も夜間が長く、そのぶん最も昼間が短いことである。そして一つは、冬至にちなむ歳時で、無病息災を願って「ユズ風呂」に入ることである。文章に書けばたったこれだけのことだけれど、心象的には書ききれない様々な思いがある。その一つは、「夏至」と対比してめぐりくる半年の速さ(感)である。人生の晩節を生きる私の場合、格別、その速さ(感)は痛切である。加えて私は、冬至に出合えるのはこの先、片手指の数にさえ及ばないのかもしれない。きょうのユズ風呂のおまじないも、効きそうにない。私は、予定(12月29日)されている胃カメラ検査に向かって、今なお胃部不快感を引きずっている。令和4年(2022年)の「冬至」におけるわが日暮らしと、バタバタとつのる感慨である。