本文にいたらず、単なる継続文

12月20日(火曜日)、年の瀬は残り、一旬(十日余り)となった。まったく火の気のない「パソコン部屋」で、寒気がわが身をブルブルと脅かす。寒気を防ぐ文明の利器など、あまたある世にあって、火の気の備えができないわが甲斐性無しが身に沁みる。なんで私は、こうもみすぼらしい家宅に住んでいるのであろうか。あえて自問するまでもなく、答えは明らかである。あらためて私は、わが甲斐性無しをなさけなく思う。もちろん、ことしにかぎることなく死ぬまで、こんな家宅に住むわが身は、連れ添う妻を巻き添えにして、共に哀れである。口内炎の痛みは消えたけれど、胃部不快感は引きずったままである。そのことも加担してなのか。よりもよって「大船中央病院」(鎌倉市)のことしの診療最終日(12月29日)にあって私は、飛んだ目に遭う。すなわち、精密機器(胃カメラ)を咽喉から胃部へ通して、わが頼みもしない病根探しが予定されている。もちろんわが本音は、ゲップを吐きそうな不快な気分になる胃カメラなど、咥えたくはない。病根があろうがなかろうがもはや、残りのわが命は短くかぎられている。だったらもう、胃カメラにともなう不快な思いはしたくない。しかし、立場の違う患者と医師の関係にあっては、こんな不服の申し立てはおのずから禁じられている。だとしたら、「どうにでもしてくれ!」。生き続けることをあきらめて、ドタバタすることなく、ドンと横たわっている俎板の上の鯉の心境は、こうであろうか。もちろん私は、鯉の心境にはなれず、のたうち回ることとなる。きょうは寒さに負けて本文にたどり着くことなく、こんないたずら書きで閉めることになる。どうにか、継続文の足しになる程度の文章である。私は生きることにとことん「弱虫」、いや、虫けら同然である。寒いなあ…。だけど、虫けらのようにこの時期、地中にあって寒さ凌ぎはできない。私は、冬防寒重装備にくるんだ図体を寒中に晒している。