十二月五日(月曜日)未明。起き出しては来たけれど、まったく火の気のない部屋にあっては、寒さが太身の肌に身に沁みる。異常季節とも思えていた暖かさを断って正常軌道に戻り、ようやく確かな冬の季節が訪れている。雑草も枯れて、草花さえ少ない庭中にあって、健気に季節をつないでいたのは、これら二つの花である。一つは、文字どおり濃緑の葉っぱに凛凛と艶を帯び、今なお黄色く光り続けているツワブキの花である。一つは、花の少ない季節ゆえにわが目に留められて、誇らしく白い小花を散らしている寒菊である。今やどちらも大方、役割を終えて、みずから冬花の王道と謳う、椿と山茶花へつないでいる。
花の少ない季節にあって、長く眼福を恵んでくれていた山や木立の黄葉や紅葉は、わが季節の終わりを感じてか散り急ぎ、日に日に冬枯れの季節の到来を告げている。ちょっぴり寂しさを誘うけれど、自然界の営みゆえに仕方のないまっとうな季節めぐりの証しである。
翻って年の瀬の人の営みは、必ずしも正常にはめぐっていない。来る日も来る日も季節感などないままに、事故や事件のオンパレードである。加えて、コロナの恐怖もいまだに、発生以来の年数を忘れてしまうほどに長く続いている。私の場合もまた、常々体調不良を嘆いている。
起き立てにここまで書き殴り、現在わが心中に浮かんでいることは、こんなことである。すなわち、駄文であっても書き続けることは、ほとほと大変である。まして、駄文を読み続けてくださることは、輪をかけて大変なことである。このことを浮かべて私は、ご常連の人たちにたいして、あらためて感謝と御礼の思いをいだいている。
いまだ寒気は、真っただ中とは言えず、もとより寒気の本番は年明け以降に訪れる。それゆえに年の瀬にあって私は、ご常連の人たちのつつがない日めくりを願ってやまないところである。私自身は、体調の回復に努めなければならない。もちろん、悪あがきにならないようにと、しっかりとわが肝に銘じている。
いまだ、夜明けの明かりは見えない。年の瀬は、寒気をともない中流へ差しかかる。人の営みは、自然界のように自然体でめぐることはない。いや、人の営みには季節感は感じられない。駄文を綴り、そして、それを読んでくださることを、ただただ済まなく思う、年の瀬である。