十二月四日(日曜日)、おとといあたりから急に、わが身に堪える寒気が訪れている。この時季にあっては当たり前の寒気だけれど、ずっと暖かい日が続いてきた矢先ゆえに余計、肌身に寒気が沁みている。いよいよ、老身を脅かす寒気の訪れにある。それゆえにきのうから、寒気に闘いを挑んで、冬布団に厚手の毛布を重ねている。さらにきょうからは、下着に肌着を一枚増やして、冬防寒重装備の完備を企てている。すでに上着は、子どもの頃の丹前代わりに、分厚いダウンコートを羽織っている。だからこの先、寒気が増しても着衣の重ね着はできず、現在の冬防寒重装備で、寒気と闘うこととなる。しかし、闘いにあっては、防戦一方になりそうである。続いていた暖かい日にかまけて私は、もちろんのほほんとしていたわけではない。異常気象ならぬ自然界気象の正規のめぐりであれば、突然の寒気とて文句を言う筋合いはなく、日々我慢を重ねるしか能はない。確かに、寒気の訪れは仕方ないけれど、年の瀬にあって天変地異の鳴動だけは、真っ平御免蒙りたいものである。川の流れのごとく緩やかに、いや早瀬のごとく日が流れてゆく。おのずから年の瀬の日々には、さまざまに万感きわまりない思いがつのってくる。それらの思いの一つは、この先の寒気しのぎである。すると、寒気を和らげてくれることではやはり、自然界の恩寵とりわけ太陽こそ最善である。端的にはしらずしらず眠気を誘われ、昼間にあって睡眠に落ちそうな太陽光線の恵みである。きのうの昼間、私は茶の間のソファに背もたれて、太陽光線のありがたみとつれなさを感じていた。窓ガラスを通してポカポカ光線がそそぐと、たちまちわが心身は、暖かさに解れた。逆に光線が翳ると、これまたたちまち、寒さで身震いした。言うなれば太陽光線の有る無しに応じて、わが心身は解れと縮みを繰り返した。つまるところ私は、いまさらのごとく、太陽光線のありがたみを感じていた。すると私は、かつての異国の名画の題名になぞらえて、『太陽がいっぱい』気分を満杯にしていた。本格的な冬将軍のお出ましに遭って、他力本願ながらわがすがるのは、太陽の恵みなかんずく、暖かい太陽光線である。この先、私は「ありがたや、ありがたや…」と、呪文を唱える日々の多さの訪れを願っている。いまだ夜明け前にあって、太陽光線の恵みはなく、わが身体はブルブル震えている。冬防寒重装完備だけれど、もとより太陽光線には、闘わずして大負けである。本格的冬将軍のお出ましに遭っては、「ひぐらしの記」の頓挫が危ぶまれるところである。