人情、他人様から賜る情け

十一月十八日(土曜日)。寝床から抜け出して来て、パソコンを前にして椅子に座り、壁時計を横目で見遣った。時計の針は、四時あたりをさしている。夜明けの遅い仲冬の夜明けまでは、未だ夜の静寂(しじま)にある。それでも、きのうの「丑三つ時」の寝起きに比べれば、二時間ほど長く眠れていたことになる。口内炎の痛さは峠を越して、下り坂に向かっているようである。そうであれば、ささやかとは言えない朗報である。つれて、憂鬱気分も緩和傾向にあり、どうにか「文章の体・態(てい)」を為している。きのうは口内炎のもたらす憂鬱気分に陥り、文章を書く気分になれずじまいだった。挙句、出まかせの石ころみたいな創作川柳でつないだ。人の世は、「捨てる神あれば拾う神あり」。この定則を露わにしたのは、文字どおり他人様(ひとさま)の情けと優しさであった。実際には掲示板上の高橋弘樹様のご投稿文から、こんなアドバイスを賜ったのである。「前田さん。口内炎には『KAGOME野菜生活100オリジナル』(200ml)が良いですよ」。「牛に引かれて善光寺参り」:他人に誘われて知らぬうちに善い方へ導かれることのたとえ。この成句にいくらか似ているけれど、実のところはまったくそうではない。なぜなら私は、常日頃にエールを賜る高橋様のアドバイスにすがり、定期路線バスに乗って大船(鎌倉市)の街へ出かけたのである。そして、セブンイレブンに立ち寄り、高橋様お勧めの目当て「野菜生活」を買い込んだ。きのうは、たちどころに二本飲んだ。効き目はわからない。しかし、買い込んだおりのわが心中には、咄嗟にこんな成句ができていた。「親の声、絶えて代わりの、他人(ひと)の声」。わが晩節の生存は、人様の声に「助けられ、支えられ」て、叶っている。「痛い、痛い、口内炎」は、他人様(ひとさま)の人情を篤くもたらしてくれたのである。だから痛くても、ありがたくて我慢のしどころである。まだ、夜明けの明かりは見えない。パソコンを畳んで、寝床にとんぼ返りをしたら、案外いや結構、二度寝にありつけそうである。