夜明け前

十一月十一日(金曜日)、現在の時刻はきっかり午前四時です。それゆえ、前面の雨戸開けっぱなしの窓ガラスの外には、未だ夜明けの明かりはまったく見えません。この光景を強いて表現すれば、頭上の二輪の蛍光灯が真っ暗な窓ガラスに浮いて、音なく照り返っています。寝起きは早いけれど、ぐっすり眠れたことで現在は、いつもの眠気眼でも朦朧頭でもありません。それよりなによりそれらのおかげで、寝起きの気分は安らいでいます。こんな寝起きの気分に恵まれることなど、めったにありません。気分和んで、のんびりとキーを叩いています。しかし、現在の心境を正直に吐露すれば、この文章を結んだのち、投稿ボタンを押すかどうかはわかりません。多分、押さないだろうと思いながら、ポタポタとキーを叩いています。そのことで、気楽なキー叩きにありついています。いつもの私はいやいや気分、あえて表現を強めれば惰性、さらにはみずからに鞭打って、文章を書き続けています。だから、惰性を止めるとたちまち文章は止まります。するとそのぶん、気分はたちまち安らぎます。おとといときのうは、ずる休みというより意識して休みました。このことでは気分(精神)のみならず、心身(身体共に)は安寧状態を得ました。これに味を占めてきょうの私は、文章の打ち止めすなわち潮時を決意していました。ところが、こんな文章を書いています。いや、これは文章とは言えないから、実際にはきょうも休んだ気楽さで、キーを叩いています。確かに、長く書き続けてきて、もう、書きたいネタも、書きたい気分も消失しています。それゆえ、「愚痴こぼしこそわが人生」という状態をあからさまにして書き続けて、そのせいでわが気分の滅入りは増幅し、挙句、人様の気分をも損なっています。つまり、現在の私は、「書かない気分の良さ」に溺れ始めています。三十分ほどのキー叩きゆえに、未だに夜明けの明かりは暗闇です。いよいよ、投稿ボタンを押すか、押さないか、決断の時が訪れています。指の動きを止めて、しばし思案をめぐらします。初冬の季節は、穏やかな日和でめぐっています。ここで、文章書きを止めるのか? 止まるのか? いや、止めるのだ。わが気分は、迷路に陥りハラハラドキドキの状態でめぐっています。せっかく書いたから、投稿ボタン、押しちゃえ! 愚痴こぼしと恥晒しには慣れています。