妻孝行

十月十五日(土曜日)、今にも雨が降りそうな小嵐の夜明けにある。すっかり私日記風に文章を書いていると、このところは明けてくる日も、悪天候ばかりと思うところがある。この表現は必ずしも当たっていない。なぜなら思うというより、実際にもそうだからである。頃は中秋を過ぎて、すでに晩秋へ深入りしている。それなのに大袈裟な表現に切り替えれば、私には初秋からこれまで好季節・秋の天候に恵まれた実感がない。さらにくどく言葉を重ねればこの秋、私は秋天高い胸の透く天候の恩恵を感じていない。異常気象と天候不順は、同義語なのであろうか。いずれにしても、大損気分横溢である。そぼ降る雨の中、きのう私は、長く途絶えていた「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)へ出向いた。ここには、妻と共に所属する卓球クラブがある。しかしながら、妻の転倒事故(騒ぎ)以来、突然介助役が降ってきて私は、自分だけでも卓球クラブへの足が遠のいている。ここには卓球クラブ同様に、カラオケ同好会のクラブもある。音痴の私には用無しのクラブだけれど、歌好きの妻は嬉々として所属している。ところが、転倒事故以来おのずから妻の足は、途絶えたままである。カラオケクラブには、優しい高齢の男女の仲間がいる。きのうはその仲間のおひとり、近くの男性から妻へ誘いの電話があった。マイカーでの迎え送りつきだという。これにはこんな事情もあった。それは妻がこれまで長い間、買って持ち込んだCDが不要となり、持ち帰って欲しいという用件であった。そうであれば迷惑をかけるから、行かざるを得ない。持ち帰りに妻ひとりではさらに迷惑をかけると思い介助役の私は、いつものように引率同行した。きのうは、雨のせいか十人足らずの高齢仲間が来ていた。妻は久しぶりにマイクを握り、持ち歌・愛唱歌(懐メロ)の何曲かを歌って、心を躍らせていた。舞台は畳敷きの大広間である。介助役の私は、高齢仲間の歌謡ショーをだれかれになくお愛想の手を叩き、三時間半ほど見入っていた。妻の気分は高揚し和やか、わが、妻孝行の一日だった。読んでくださる人にとっては、まったく味気ない文章である。「ひぐらしの記」は、すっかり私日記へ成り下がり、大恥晒しさえ厭(いと)わなくなってしまい、ほとほとなさけない。雨降りは免れそうだけれど、いまだ朝日は雲隠れのままである。