「作者冥利」という言葉は、夢まぼろし

九月十二日(月曜日)、きょうもまた私は、夜明け前の電灯の下、パソコンを前にして木椅子に座っている。眠く瞼は半開きだけれど、執筆時間はたっぷりとある。睡眠中はもちろんのこと、起きてパソコンに向っているときには、難聴用の集音機は両耳から外している。集音機を耳に掛けるのは、文章を書き終えパソコンを閉じて、階下の茶の間のテレビの前のソファに凭れるときである。このときこそ、わが一日の日常生活の始動開始である。テレビの後ろの壁に掛けている時計の針は、午前七時十五分あたりをめぐっている。NHK テレビ・BS3チャンネルには、過去に放映された『芋たこなんきん』の二度目が始まる。続いて、現在作の『ちむどんどん』に変わる。合わせて30分間のテレビ小説の視聴は、わが一日の始動の決まりごとである。慌てふためいてもこれらの時間に合わせて下りられないときは、妻の録画撮りにすがっている。テレビ視聴の前後には雨戸を開けること、緑内障予防薬の点眼とがある。テレビ小説の後には朝御飯と、わが担当の分別ごみ出しがある。今では億劫になりがちの周回道路の掃除は、文章を早く書き終えれば、これらの前に出向くことになる。一時期、慌てふためいていた朝御飯の支度は、妻のがんばりでこのところは免れている。しかし、まだ回復、もちろん快復とは言えないから、常に出番を窺っている。きのう、きょうのこの二日、パソコンに向かっていると、普段ではあり得ないことに遭遇し、私は大慌てで度肝を抜かれた。音は聞こえようなく階段を上がり、妻の姿がわが傍らにニユッと、現れたのである。「どうしたの? 何かあったのか…、階段、危ないよ!」。妻は、ニコニコ顔で絶えずしゃべっている。私に、その声は聞こえない。妻は、雨戸を閉めていない窓際を指さしている。会話は会話にならず、私は「集音機は、嵌めてないよ。どうしたの?」と、言う。妻がわが耳元に顔を寄せた。「パパ。お月さん、見ないの? 十五夜よ!」「そうか」「パパ、見なさいよ!」。先ほどの妻は、「十六夜(いざよい)の月」の観賞の勧めで、階段を上がってきたのである。きのうの妻は、「中秋の満月」を見るために上がってきたのである。「月、出ているの?」「雲がかかっているわよ」。妻の心づくしであれば、すぐに立ち上がらなければならない。しかしその言葉に、私は「そうか。残念だね」と言って、パソコンのキーを叩いていた。妻は音もなく、階段を無事に下りて行った。きょうの私は、きのうの文章の二番煎じを書いて、あわよくば二匹目の泥鰌(ドジョウ)を狙っているわけではない。書き殴りゆえの、二番煎じに似た文章にすぎない。「作者冥利」という言葉がある。電子辞書を開いた。作者:①芸術作品の作り手、②歌舞伎狂言の脚本を書く人。作家:詩歌・小説・絵画など、芸術品の制作者。特に、小説家。案の定、私の場合は、どちらの範疇にも入らない。すなわち、学童の頃の「綴り方教室」にならい、作文の六十(歳)の手習いの文章を書いているにすぎない。もとより、「作者冥利」という、言葉にはありつけない。私は、素人の文章(作文)を書き続けているだけである。だから余計私は、日頃からわが文章の出来に気を揉んで、挙句、身の程を棚に上げて誉め言葉に飢えている。それゆえに私は、突然、わが文章に誉め言葉(望外のコメント)を賜ると、たちまち有頂天になる。もちろん、作者冥利とは言えないけれど、「嗚呼、書いてよかった!」と、喜びがふつふつと沸いてくる。文章、素人ゆえのわが浅ましさである。ところが、きのう書いた『切ない、特上寿司』には、思いも寄らず大沢さまと高橋様から、わが身に余るうれしいコメントを賜ったのである。私はうれしくて、涙ぐむ思いだった。そのうえ、お二人様のコメントは、引きずっていた夏風邪による鬱陶しい気分を直し、さらにはこの文章書く気分を起こしてくださったのである。ゆえに私は、この文章でお二人様にたいし、篤く御礼をしたためるところである。生来、凡愚ゆえに私は、誉め言葉には虫けらのごとく、浅ましさ丸出しに飛びつくのである。「一寸の虫にも五分の魂」には程遠く、虫けらの浅ましさだけ全開の「わが、うっとり感」である。わがお里の知れるところである。ゆっくりと階段を下りて、妻にお誘いのお礼を言うつもりである。だらだら文、かたじけなく、恥じるところである。「作者冥利」という言葉は、私には夢まぼろしである。