わが人生の最大幸福

 九月六日(火曜日)、体調崩れて憂鬱気分に取りつかれている。身体が損なわれるのは加齢のせいであり、もはや抵抗のしようはない。しかし一方、精神の傷みは、加齢とは関係ない。それは、わが克己心の弱さである。大袈裟に書いたけれど、いまだに夏風邪が癒えない上に、突然歯痛が襲い重なっている。こちらは買い置きの薬剤で抵抗を試みている。けれど、さしたる効果は顕れない。内科医はそうでもないけれど、歯科医には足と気持ちの竦(すく)むところがある。なぜなら歯科医は、通い始めればエンドレスとなる傾向にある。しかしながら私は、歯痛だけは自然治癒にあり得ないことくらいは、とうに知りすぎている。結局、どちらもわが天邪鬼(あまのじゃく)の祟りである。精神安定剤に変わるのは、やはり通院というわが決断である。
 さて、「ひぐらしの記」は、随筆集とは名ばかりの私日記にすぎない。それゆえにそれに甘えて私は、実際のところは継続の寸断に怯えて、わが身辺の芥(あくた)ごときネタまで書いて繋いできた。換言すれば、わが身の恥晒しである。だけど、恥晒しを恥と思えば、私日記とて文章は書けない。それゆえに、文章を書き続けるためには、恥晒しは承知の助である。憂鬱気分に苛(さいな)まれるなかで、目覚めて私は寝床の中で、こんな思いに耽っていた。私日記ゆえに書ける恵みである。人類の最大幸福は、人為の戦争がないことである。これになぞらえて、わが人生の最大の幸福は何か? と、思いをめぐらしていた。するとそれは、同様にわが身辺に諍(いさか)いのないことである。とりわけ血縁、すなわち親子かつ兄弟・姉妹にあって、諍いや喧嘩のないことがわが最大幸福である。私の場合、戸籍の上では異母、その子どもたち(異母きょうだい)、そしてわが母、その子どもたち、並べて何ら隔てのない多くの兄弟・姉妹に恵まれている。(戸籍上のきょうだいは、十四人と記されている)。もちろん異母と、早死にした姉の一人は、対面叶わずである。きょうだいのなかで私は、十三番目の誕生である。しんがり十四番目の唯一の弟は、生後十一か月のおり、わが子守どきの不始末で、生業の水車の水路にドボンと落ちて、この世から去った。多くのきょうだいたちの中で現在、生存は次兄と私だけである。老少不定は世の常である。
 結局、わが人生の最大の幸福は、親子喧嘩一つすることなく、また見ることもなく、さらにはきょうだい喧嘩一つすることなく、また見ることもなく、わが人生を閉じそうだということである。もちろん、次兄と私の仲は、全天候型に晴れ渡っている。もとより、「ひぐらしの記」は私日記である。それゆえに、こんなことまで書けるのである。さらには、恥晒しを恐れていては、もちろん書けるはずもない。結局、憂鬱気分著しい寝床の中で私は、わが人生の幸福感に浸りきっていたのである。ご常連各位様には、平にお許しを乞うて、かたじけなく思うしだいである。わが憂鬱気分を癒してくれそうな、清々しい秋の夜明けが訪れている。