立秋過ぎて…

八月十二日(金曜日)、「立秋」(八月七日・日曜日)すでに過ぎて、夏の夜明けと朝は、秋色を帯びている。網戸から浮き抜けてくる風は、確かに熱をかなり冷やしている。明日は「八月盆」の入り日(十三日)である。送り日(十六日)が過ぎると、いまだに盛夏にもかかわらず、私は「ゆく夏を惜しむ」心境になる。人間心理は、常に綾なしている。よくもわるくも、人間の人間たるゆえんと、言えそうである。寝起きの私は、柄でもなく脳髄にこんなことを浮かべていた。すなわち、言行とは言葉と行動、そして心身とは精神(心)と身体(体)である。私いや人間がどちらにも望むのは、一致できれば完全一致である。なぜなら、現行の一致は人間性の根幹を成し、一方、心身の一致は人間の幸福の根源を成す、と言えそうだからである。しかしながら、どちらも叶えることは、雲を掴むほどに困難である。言行が乱れれば「嘘つきカモメ」となり、人間性はたちまち喪失する。心身の乱れはそれよりも質(たち)が悪く、健康を損(そこ)ねた挙句に、生存自体が危ぶまれることとなる。いや、生存はどうにか叶っても、日々それに怯える日常(日暮らし)に、苛(さいな)まれることとなる。もちろん私は、言行および心身共に、一致の欠片(かけら)にさえありつけていない。言行で言えば、すなわち「言うは易く行うは難し」である。心身で言えば、幸いにも健康体である。ところが精神は、不健全態である。すなわちわが心身一致は、夢まぼろしの如くに、実現にはありつけていないままである。もちろん私は、心身一致の実現を夢見て言葉にし、そのための行動をいくら心掛けている。しかし、努力は無駄骨の如くに、常に心身不一致の状態にある。それは精神状態が常ならぬためであり、結局、身体健康、精神不健全という、片肺飛行を余儀なくしている。案外、こんな文章を書かなくなったそのときこそ、精神健全と言えるかもしれない。しかし、そんなことはあり得ない。いや、身体をも損ねて、両肺倒れの飛行となりそうである。わが「夏痩せ」願望は、日々勢いを強めて、願わぬ「夏太り」の状態にある。自己診断でその誘因は、明けても暮れてもひねもす(終日)、駄菓子とアイスキャンデーの食べ過ぎゆえである。「食べすぎは、止そう!」。ところが、まもなく訪れる「天高く馬肥える秋」は、夏太りにいっそう輪を掛けそうである。身体が太ることは、必ずしも健康体の証しとはならず、わが精神状態の気鬱を加速させるだけである。言行および心身共に、一致に悩める現在のわが心境である。