確かに、私自身が種を蒔いた、いやしでかしたことから、疲労困憊を招いている。だからと言って、自業自得という四字熟語は、この際は使いたくない。あえて、現在のわが心境を吐露すれば、「こんなはずじゃなかった」、あるいは「当てが外れた」くらいの表現で留めたいところである。今週の天気予報には晴れマークは週末・日曜日(七月十日)だけであり、きのう(四日)の月曜日から土曜日(九日)までは、雨マークと曇りマークの抱き合わせである。確かにきのうにあっては、寸時の晴れ間もなく曇り空ばかりであり、それどころかちょっと間には、小雨にさえ脅かされたのである。案の定、先週までの喧々諤々の暑さ談義は、すっかり影を潜めていた。「思い立ったが吉日」、得たりやおうとばかりに私は、懸案の一仕事に着手した。すなわち私は、夜がうっすらと明ける五時前あたりから、意識して短く朝御飯を済まし、十二時過ぎまで独り、黙々とアジサイの剪定作業に終始していたのである。周回道路の側壁(石壁)上の山の法面のアジサイは、現住地に宅地を求めたおり、心勇んで私が手植えしたものである。ところが現在は、あにはからんや剪定作業というとばっちりを被っている。このことが、冒頭の文章の引き金をなしたのである。言うなれば、わが浅ましい心が招いた悪の報い(しっぺ返し)である。本来、ずっと楽しめるはずのアジサイは剪定作業のせいで、加齢のたびにずっしりとわが重荷になり替わっている。「もう自分はできない、この先どなたがやってくださるだろうか…」と、悩みは尽きずいやますばかりである。こんなことでようやく剪定作業を終えた私は、ひとりでに笑みがこぼれるほどに安堵した。半面そのぶん、極度の疲労困憊(ひろうこんぱい)に陥った。剪定作業の最後の仕上げは、束ねたアジサイを分別ごみ回収場へ持ち込むことである。草木・落ち葉の回収日は週一・水曜日であり、今週はあす(六日)である。ところが明日は雨の予報であり、だから前日のきょうは、気が揉むところにある。しかしながら現在は、懸案の作業を終えて気分きわめて良好である。書くまでもないことを書いて、結文とするものである。私日記風の「ひぐらしの記」に免じて、お許しを願うところである。この先は、寝床へのとんぼ返りを試みる。身勝手ながら締めの言葉には、「かたじけない」という、短いけれど、平に詫びたい言葉が浮かんでいる。