この時季、六月雑感

六月三日(金曜日)、夜明けが訪れている。この季節の特徴は、雨の日の多い梅雨の時期である。この季節をわがもの顔で待っている季節の花は、アジサイである。書くまでもないことだけれど、漢字表記は「紫陽花」である。この時季、アジサイは、日本列島のどこかしこ(津々浦々)に咲いている。そして、一様に人の口の端にのぼり、おおかたは愛でそやされて、雨の季節がもたらす鬱陶しい人心を癒している。アジサイは根付きが早く、植え付けは至極簡単容易である。言うなれば大形の雑草みたいなものであり、珍重するまでもないありふれた花である。それでも多くの人の口の端へのぼるのは、アジサイ自身まさしく幸運、すなわち「たなぼた感」ひとしおであろう。こんな幸運にありつけるのは、梅雨の時期にあっては野花が少なくなり、アジサイの独り勝ちの情景に恵まれるからであろう。当てずっぽうの、わが独り善がりの考察である。わが子どもの頃のこの時期、田園を取り巻く野原で目にしていたものの一つには、小粒ながら赤身の毒々しい蛇イチゴ(くちなわイチゴ)があった。これに出遭うと私は、周辺に蛇(くちなわ)がいるのかな? と思い、恟然(きょうぜん)とした。冷めやらぬ恐怖心を癒してくれたのは、宵闇迫るころから飛び飛びに明滅しはじめるホタルの光だった。関東地方の梅雨入り宣言は、来週あたりであろうか。わが家近くにあるアジサイ寺・明月院は、明月院前通りを六月は初日から末日にいたるまで、午前九時から夕方の五時の間にかぎり、車両の進入禁止を企てている。もちろんそれは、近郊近在から訪れる、アジサイ見物客にたいする危険防止対策である。へそ曲がりの私には、だれしも、庭先のアジサイを眺めれば十分であろうと、思うところがある。それでもわざわざ、アジサイ見物に訪れるのは、物見遊山特有の気分晴らしなのか。それとも、桜見物同様に、「花より団子」という、下心つきであろうか。この時期の私は、茶の間で駄菓子を頬張り、窓ガラス越しにわが手植えの山の法面のアジサイを眺めている。めぐりくるこの時期の、無償のわがケチな営みである。さて、文章をあんなに必死に書き続けてきたのにこのところの私は、怠惰心と休み癖に見舞われている。なおかつ両者は、心中に根づき始めている。おのずから、切歯扼腕するところである。もちろんこんな文章では、その突破口にはならない。なさけなくも私は、窓の外に色づき始めているアジサイに、単なる癒しではなく、大願の再始動のカンフル剤の役割を託している。梅雨入り宣言前の朝ぼらけは、ことのほか清々しく光っている。