3月25日(火曜日)。寒気はまったく感じなく、もはや怯えることはない。だからだろうかのんびりと、こんなことを心中に浮かべて起き出している。山の木々は芽吹いて、それぞれの花を咲かし始めている。きのうは東京都の桜の開花宣言があり、テレビ映像を賑わしていた。桜木の下で佇み目を凝らせば、わが家近くの桜も一輪ぐらいは咲いているだろう。山からはまだ枯れ葉は落ちず、道路の掃除は免れている。庭中のツバキの花は、大団円の色艶を増して咲き続けている。この花びらに含む美味しい露蜜を吸いに、山からメジロが飛んで来る。すぐに、メジロをやっかみ追っ払うように、ヒヨドリが後を追う。瞬時、ヒヨドリには憎さ百倍つのるけれど、それでも春を愛(め)でたくなる絵になる光景である。山にはウグイスを筆頭に、名を知らない山鳥たちが、まるで間欠泉のごとく一定の間隔を置いて、鳴き合っている。突然の天変地異さえなければ、山際に住む私にとっては願ってもない、一年じゅうでもっとも好季節の到来にある。
朝日は見えないけれど、のどかに夜明けが訪れている(5:48)。まだ、執筆時間はたっぷりとある。しかし、ここで書き止めにしないでこの先を書けば、いつものマイナス思考の文章を綴ることになる。挙句、せっかくの好気分は殺がれることになる。それを恐れて私は、恥を晒して指止めを決断した。生来の優柔不断の質(たち)の、わが突然の決断を褒めてくれているかのように、ウグイスはエール(応援歌)の鳴き声を高めている。
あれれ! 朝日もまた私に味方して、光り始めている。わが自然界賛歌は、謳歌を極めている。
朝日は見えないけれど、のどかに夜明けが訪れている(5:48)。まだ、執筆時間はたっぷりとある。しかし、ここで書き止めにしないでこの先を書けば、いつものマイナス思考の文章を綴ることになる。挙句、せっかくの好気分は殺がれることになる。それを恐れて私は、恥を晒して指止めを決断した。生来の優柔不断の質(たち)の、わが突然の決断を褒めてくれているかのように、ウグイスはエール(応援歌)の鳴き声を高めている。
あれれ! 朝日もまた私に味方して、光り始めている。わが自然界賛歌は、謳歌を極めている。