時は過ぎていく

 私の仕事机のパソコンの前にはボロボロの「国語辞典」、「広辞苑」、天眼鏡が置いてある。国語辞典は私の書いた昭和54年8月17日の日付が記してある。今ではパソコンで用が足りるので、ほとんど開くことも無くなった。しかし、当時は、文章を書くのにこれがないと二進も三進もいかなかった。でも、時々必要になるときがあり、文字が小さいので天眼鏡が必要になる。表紙がボロボロに破れていて、開くといまにも崩れそうだ。それでも新しいものを買い求めずに来た。それは、私とともに時を過ごしてきた貴重品だからである。「広辞苑」は何かの折の記念品にいただいたものだ。古い辞書など役に立たなくなる。それでも未だに使い続けているのは、自分の生きてきた証のような気がするからだ。
 天眼鏡を使い始めた当初は、年寄りになった気分で滅入ったものだが、今では年寄りなどと嘆いてはおれず、無くてはならない本物の年寄りになった。目の前のものがどんどん古くなっていく。嘆いても戻っては来ない。