2月21日(金曜日)。「春眠暁を覚えず」。ネタ無しをこの成句にすがるには、まだ早い。慌て者の春が来たのだろうか? 朝寝坊をこうむり、時間に急かされて文章が書けない。きょうはこんな言い訳をして、凡愚のわが身を守っている。きわめて身勝手で、頓珍漢な言い訳である。きのうは迷いかつ萎えていたわが心象に、名医・大沢さまから効果覿面のカンフル注射が打たれて、寸でのところで以降の文章断ちを免れた。いや、カンフル注射が打たれる前は、死人同然の状態だった。だから、確かな生存(生き返り)の証しには無傷で、できれば流暢(りゅうちょう)な文章を書けばいいのにそれは叶わず、心臓の鼓動だけにありつく、体(てい)たらくの文章を書いている。しかしながら、文章が拙(まず)いことはそっちのけにして、寝起きにありついていることには快哉(かいさい)をおぼえている。すなわち、この文章は、ただいたずらに、生きている証しだけの文章である。「ひぐらしの記」の誕生にあって大沢さまは、「前田さん。何でもいいから書いてください」と言われた。この言葉に甘えて私は、身の程知らずに三日坊主を恐れて書いてみた。ところが以後、果てしなく長く続いてきたけれど、文章の体はいまだにヨチヨチ歩きである。この文章はまさしく、その証しでもある。きょうは朝早く、妻を伴って外出の支度が待っている。行き先は、神奈川県横須賀市内にある「眼鏡市場」である。用件は、先日購入済みの妻のメガネの出来上がりの報を得て、その受け取りである。大沢さまのカンフル注射は、文章の出来は悪いけれど、願ってもない継続を可能にしたのである。まるで気狂いみたいな文章だけれど、心情は確かな御礼の文章である。慌て者の春は、それなりに清々しい春の息吹ただよう、日本晴れを恵んでいる。わが心身は、無償のカンフル注射の効き目で、潤(うるお)い華(はな)やいでいる。
「カンフル注射」と「慌て者の春」
