わが自然界礼賛に背く、人間社会の犯罪の多発

1月25日(土曜日)。現在、デジタル時刻は、6:11と刻んでいる。しかしながらまだ、夜明け前にある。だけど、この文章の中頃には、白々と夜が明けてくる。昨年の「冬至」(12月21日)から一か月余が過ぎて、視覚的にも体感的に日長を感じ始めている。具体的には夜明けが早くなり、日暮れが遅くなり始めている。加えて昼間の陽射し(日光)は、暖(だん)を帯び始めている。わが自然界崇拝や礼賛にあっては、掛け値なしに「太陽(日光)」こそ、その筆頭を成している。きのうの私は、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。もちろん用件は買い物である。出だしは、寒気を恐れての買い物だった。ところが案じることなかれ、陽射し(日光)の暖かさに恵まれて、体じゅうが汗ばんだ。わが気分は、はしゃいだ。自宅へ戻るとテレビは、石破総理の施政方針演説の場面を映していた。演説の根幹(キャッチフレーズ)には、「楽しい日本」が掲げられていた。確かに、そうありたいと思う。ところが、天邪鬼のわが心中には、(犯罪のない日本)がいいのではないかという、思いが浮かんでいた。もちろん、石破総理の演説にケチをつけたり、当てこすりをするものではない。けれど、このところの日本社会は、頓(とみ)に犯罪社会の様相を呈している。中でも直近の出来事で頻発しているのは、見知らぬ人が出遭いがしらに、見知らぬ人を殺傷する「通り魔事件」の多発である。まさしく、身近なところで起きている犯罪の恐怖である。このところ、これに限ることなく日本社会には、事件をはじめとする様々な犯罪が頻発している。被害当事者はもちろん、これらのニュースを聞くたびに日本国民は、犯罪の恐ろしさに怯(おび)えている。だから、「楽しい日本」を為す先駆けには、「犯罪のない日本」が妥当と言えそうである。きょうは出合がしらにこのことを書いて、文章を閉じるつもりである。おやおや、中頃はとうに過ぎている。夜明けが早まり、薄々と明るみ始めている。風雨なく、いや寒気は和らいで、雲隠れの太陽(日光)の恵みにさずかっている(6:56)。