「冬至」と「夏至」は気象学的に、半年ごとの確かな季節の屈折点と言えそうである。一方、きのうの「大寒」(1月20日・月曜日)はこれらとは異なり、過去の気象データ上の季節変わりと言えそうである。浅学非才のわが下種の勘繰りゆえに、当たるも八卦当たらぬも八卦である。なぜなら、その証拠にきのうの大寒は、まるで寒気の底をあざ笑うかのように、このところで一番の暖かい陽射しが降りそそいだ。私は夜明け時のちょっぴりの小雨に遭い、予定していた通院行動を訝(いぶか)っていた。ところが、夜明け時が過ぎて朝になると、寒気はおろか雨も止んで、冬空特有の澄明な空から、暖かい朝日が射し始めた。思わぬ、天界の恵みだった。私は茶の間で相対していた妻に向かって、こう言い放った。「雨は止んで、寒さもない、きょうは予定した『S医院』へ行くよ。診察は午前中だけだから、急いで支度してね」「パパ。雨も寒さもないのよ。よかったね。すぐに、支度するわよ。遅いと、怒らないでよ!」結局、きのうは午前中に「S医院」への通院だけではなく、妻を連れ立ってほか、二つの懸案の用件を済ました。一つは妻の用足しのため郵便局へ向かい、そして一つは、夫婦共の用足しのために町内会館を訪れた。「大寒」にあって、わが夫婦の想定外の快挙行動だった。起きて現在の時刻、寒気は和らいでいる。恐れるなかれ大寒は、確かな足取り「三寒四温」で春へ向かっている。だからきょうだけは、歳月や季節の速めぐり(感)を嘆くまい。人の世にあって、いやわが身にあって嘆く、事情は山ほどにある。きょうの世界事情は、良くも悪くもアメリカ・トランプ大統領の吠え声に、一喜一憂しそうである。山の早起き鳥に急かされなく起きて、現在のデジタル時刻は5:06である。いまだ夜明け前にあってはおのずから、きょうの天気模様を知ることはできない。ただ、のんびりとキーを叩いてきたけれどこの間、寒気はまったく感じない。確かな、春の足音が近づいている。