続「河口湖」

10月17日(木曜日)。時刻はすでに5時を過ぎているのに、夜明けはかなり遅くなっている。そのせいでまだ夜の佇まいにあり、天気の良し悪しを知ることはできない。こののち夜間は日を追って長くなり、それとは逆に昼間は短くなってゆく。もとよりこのことには抗(あらが)えず、躊躇(ためら)うことはない。しかし、夜長は冬へ向かう前段階であり、この先は日々寒気が強まるばかりである。それが寒がり屋の私には堪えて、日々つらさをいや増してくる。挙句、おのずからこの先には、寒気を耐え忍ぶ日暮らしが訪れる。もとより、抗うことのできない時のめぐり、季節の移りゆえに、じっと耐えるよりしかたがない。しかしながら、こんな状態をすでに84年過ごし、かつまた毎年経験もしている。だから、いまさら泣きべそをかくことはできない。それなら、はやり歌の文句を捩(もじ)り、『時の流れに身をまかせて……』、この心境にすがることとする。序章にしては長く書いてしまったと思える、わが身の不始末である。さて、きょう書こうと思ってパソコンを起ち上げたのはこのこと、すなわちきのう書いた『河口湖』に纏(まつ)わる続編である。しかしながらありきたりに、河口湖および周辺の美的光景、なかんずくそのあたりから眺める富士山および周辺の素晴らしさ、すなわち全体風景を愛(め)でても能がない。なぜならこの地に佇めば、そんなことはみんな一様に感ずることだからである。だから私にかぎれば、この日の私は心中に特別、こんなことを浮かべていた。そしてそれは、きのうの『河口湖』において、書き足りていないことだった。ゆえにきょうは書かなければならいと思い、私はキーボードを叩いている。しかし、書きそびれていたことは多くはない。書き添えなければならないイの一番は、押すな押すなの観光客のなかにあって、日本人はごく少なく、見渡すこの人(たち)、あの人(たち)は、外国人ばかりだったことである。それらは、黒人、白人、そして風貌は日本人とほぼ同じくしても、耳に聞こえてくる言葉が違う異国の人たちだった。哀れなるかな私は、見た目や耳に入る言葉で、それらの人の国の違いを知ることはできなかった。総じて私は、外国人の多さに驚愕し、唖然とするばかりだった。一方で私は、外国人が日本観光を楽しんでいる様子にかぎりないうれしさをおぼえていたのである。きょうはあえて、このことだけを付け足したかったのである。オマケに付け足すと、初見参地・「河口湖」およびその周辺の美的風景、かつまたそのあたりから眺める富士山および周辺の雄姿は、まさしく内外の観光客の目に十分に応える絶景だった。私はうれしい気分で、「河口湖そして富士山」観光を終えて、帰途に就いた。なぜ人間は、戦争をするのであろうか。時が経ち、薄曇りの夜明けが訪れている。文章はわが手に負えない。