「秋分の日」(9月22日)が日曜日と重なり、その「振替休日」(9月23日・月曜日)へと繋いだ、三連休明け(9月24日・火曜日)の夜明けが訪れている。窓ガラスを通して見ている外気は、風強く秋天高い日本晴れである。わが身体は、かなりの寒気をおぼえている。
明日(9月25日・水曜日)は、入り日(9月19日)から一週間を経ての彼岸の明け日である。カレンダーをなぞったようなことをあえて書いたことには、こんな理由がある。すなわちそれは、彼岸の中日(秋分の日)を挟んで、気候があまりにも劇的に変化したゆえである。秋分の日に書いた文章の表題にはずばり、「秋分の日、礼賛」と付した。もとよりそれは、古来言われて来た「暑さ寒さも彼岸まで」そのままに、このあたりの暑くもない、寒くもない凌ぎ易い気候をあらためて、礼賛したくなっていたからである。
続いてきのうは、彼岸が過ぎればこの先は日を追って、わが身体の嫌う冬へ向かうことを書いた。ところが、これらの表現には言葉遊びのごとく、安易な気持ちがあった。しかし、この気持ちは、きのう一変に覆(くつがえ)ったのである。
そして現在は、書いた文章自体、反故にすべき思いに陥っている。それにはこんな理由がる。端的にひとことで言えば、予期を超えた極度の気候の変化ゆえである。まどろっこしい言い方を止めれば、すなわち一足飛びに寒気が訪れたのである。風の冷たさはきのうから、すべての網戸を用無しにした。着衣には肌着を重ねた。エアコン(冷房)は駆動を免れた。就寝時あっては、寒くて冬布団を掛けた。いちいち上げたらきりなくきのうは、自分自身そしてわが家は、思いがけない寒気に遭って、冬支度におおわらわを強いられたのである。
きょうはきのうの延長線上にあって寒気は緩まず、するとこの先が思いやられて、こんな文章書く羽目になっている。