郷愁渦巻く、柿の実千切り

9月15日(日曜日)。寝坊助を被り、時間にせっつかれて、文章と言えるものは書けない。だから、どこで切れるか? 書き殴りである。いや、あてどのない文章は、書かないほうがいいのかもしれない。満天、空中、そして地上に、朝日がいっぱい降りそそぐ、秋のさわやかな夜明けが訪れている。心中には郷愁がワクワク、溢れ出てくる。ふるさとの山河が恵む郷愁には、「相良山と内田川」が双璧を成している。しかし、これらに負けず劣らずほかにも、芋ずる式にあまた浮かんでくる。さらには、四季折々の田園風景もこれらに引けを取らない。季節を限れば中秋から晩秋にかけての、柿の実の生る風景がわが郷愁に拍車をかけてくる。わがや(生家)の庭先には、のぼり切れないほど高く聳えた柿の木があった。このほか、わが家の裏を流れている内田川の河川敷には、川流れの種から育った柿の木が三本あった。自然生えのこれらもすくすく育ち、秋には実を着けて、共にわが家の食用に化けた。犬、猫、小鳥など用無しだったわが家族には、これらの柿の木にはまるで、愛玩動物にも似た愛情があった。私の場合、柿の木、柿の実への郷愁は、人一倍を成している。その証しには宅地を買い求めると、狭小な宅地には大きくなる柿の木はそぐわないと知りながら、端っこに一本の柿の木を植えてしまったのである。この決断はやはり、身の程知らずの誤りだったと、現在は大きな悔いごとへ変わっている。悔いはレンガ積みのブロックを崩れ落としされそうで、ハラハラのしどうしを強いられていることである。区画ぎりぎりのところに植えた柿の木は、道路のほうへ食(は)み出ている。そのため、もう切ってしまおうと、ここ一、二年には決断の日が迫っていた。ところが柿の木は、まるでそれを見越して切られないようにすねでもするかのように、この秋にはこれまでで一番多くの実を生らしたのである。きのうは、妻と協働の柿千切りの日だった。妻は道路に佇み、雨傘を広く裏返し落ちてくるのを待った。私は庭中に立ち、長い柄の剪定棒で切り落した。妻、いや雨傘は、そのたびに落ちてくる実を見事にキャッチした。雨傘から外れて、舗装道路に汚くひっしゃげる実は一つもなかった。ふるさと、すなわちわが家の庭先の柿の実千切りは、面影が髣髴する父と母の協働作業だった。柿の実千切りは、父と母の姿を浮かべて、尽きない郷愁へなり変わる。きのうは、胸の透く秋の日の一日だった。そして、少しだけきょうへ残している。日本晴れの下、光る柿の実を千切ってしまうのは切ない。だから青い実の一つだけは残すつもりである。ところが、それを食べるのは、私に先を越された山に棲みつく台湾リスである。たった一つだけだから、惜しくはない。