散々な一日

きのうの昼間こそ厳しい残暑に見舞われたものの残暑の期間は短く一転直下、夏を遠のけて秋の気候へ様変わっている。その証しに朝夕の心地良さは格別である。きょう(9月6日・金曜日)の夜明けは曇天だけれど、心地良い秋に朝が訪れている。ところが、起き立てのわが心象にはきのうの悔いごとが消え去らず、ちょっぴり残っている。
 きのうの私は、いつもどおりに完結編の文章を書いた。私の場合、どんな駄文であっても書き終えたときの気分は、さわやかな日本晴れである。もちろん、呻吟して書き終えるせいである。ところが、書き終えてのちに掲示板を覗くと、まるで気狂いで書いたかのような、へんてこりんの文章になっていた。どういうわけか、へまをやらかしていたのである。なぜそうなったのか、今なおわからずじまいである。挙句、わが指先の不器用のせいであろうと悔いを残して観念している。
 わが文章書きの習性は、ワードで書いた文章を保存し、それをコピーして掲示板へ移している。しかし、きのうにかぎりこの過程を抜いて直接、所定のところに書いて投稿ボタンを押した。ところが、掲示板上の文章はちぐはぐなものだった。私は慌てふためいて、「削除」を依頼した。いつもであればワードに文章が残っているから再投稿を試みる。だけど、きのうの文章は直接書いたものゆえに保存がきかず、再投稿は叶わずじまいだった。きょうはこんなくだらないことを書いて、書き止めにするものである。
 きのうのわが私生活には、二つのへまをやっていた。一つは長くガス湯の垂れ流しである。気づいたのは、東京ガスからの電話で鳴りっぱなしの警告メッセージによるものである。一つは電源を切ったはずの、エアコンの点けっぱなしである。きのうは散々な日だった。わが注意力は、一足飛びに認知症へ傾いている。
 さわやかな季節・秋の訪れにあって、私は素直に喜べない心境にある。