生存の証しの文章

「山の日」(8月11日・日曜日)。これにともなう「振替休日」(8月12日・月曜日)を含めて、三連休明けの(8月13日・火曜日)を迎えている。私は前月(7月30日)に文章を書いて以降、月が替わり今月(8月)になってもきのうまで、文章は休み続けていた。気づくと、きょうは「八月盆」の入り日にある。この間、夏の季節は変転し、私は浦島太郎の気分にある。「パリオリンピック」はきのう閉幕した。この間にあって私は、深夜あるいは朝方にかけて、各種競技のテレビ観戦に興じていた。おのずから文章書きは割を食って、沙汰止みを続けていた。予期していたことであり、もとより文章の途絶えに悔いるところはない。しかしながらやはり、これまた予期していた現象に見舞われている。すなわちそれは、休み癖に取りつかれて、現在は「もう書きたくない、もう書けない」という、渦に晒されている。これこそ、わが恐れていた「惰性の頓挫」である。そのためこの文章は、再始動の火付け役をになっている。ぶすぶす燻るのか、それとも燻ることなく消えるのか。わが心象のことなのに、どうにもしがたく、顛末を恐れている。パリオリンピックのテレビ観戦で休んでいた間、私的には気鬱に陥る出来事に見舞われた。世の中にあっては地震(主に宮崎県や神奈川県)、いや総じて「南海トラフ」騒動、加えて夏特有の高気温とそれにともなう熱中症への警告が連日、テレビ画面にテロップで流れ続けていた。そしてきのうは、台風5号の東北地方(主に岩手県)への上陸報道が入り込んで来た。台風は各地に大雨(洪水)被害をもたらしていた。歴史的惨禍では、広島原爆の日(8月6日)、長崎原爆の日(8月9日)にとなう、例年の式典がしめやかに行われていた。一方、「夏の高校野球大会」(兵庫県・阪神甲子園球場)が開幕し、連日熱戦を繰り広げている。文章を休んでいたのは、二週間ほどにすぎないのに、私生活および世の中の動きは、変転きわまりなく、わが心象風景はやはり「今、浦島太郎」状態にある。きょうもまた夜明けは晴れで、雨の降らない日が何日も続いているだろう。興じたパリオリンピックのテレビ観戦を終えて、この先のわが心象は恐々として怯えている。いやもはや、生きていること自体、恐ろしいことばかりである。