7月20日(土曜日)。いまだ夜明け前だけれど、薄暗く夜が明けたら、道路の掃除へ向かうつもりでいる。まもなく、夜が明けそうである。おのずからこの文章は短くなり、実のない文章のままに閉じる。道路の掃除と文章執筆の交差時間を解決しなければならない。このことはこれまで、わが解決すべき宿願のテーマとなっていた。ところが、今なお自己解決をみないままに悩み続けている。挙句、文章は書き殴りを食らい、また継続が危ぶまれる。さて、梅雨が明けた。本格的な夏が来た。しかし、夏の暑さはいまだ初動にあり、こののち真夏へ向かうにつれて炎暑の夏が訪れる。ところが昨夜、就寝中の風は(もう秋風)とも思うほどに、肌身に冷ややかだった。私はうれしい気分を撥ね退けて、季節めぐりの速さ感に戸惑った。まさしく、人生の終盤を生きる者(私)固有の哀感に晒されていたのである。なぜなら、季節いや時のめぐりの速さ感は、わが残りの生存期間を縮める思いに陥っていたのである。抗えないことに思いを詰めるのは、まさしくバカ丸出しである。淡い朝日の光をともなって、夜が明けた。同時に、私が設けていた制限時間が切れた。私は道路へ向かう。ウグイスは、頻りに鳴いている。