嘆いてもどうにもならない私の記憶。私は何時の頃からかリュックを使用するようになった。リュックを背に町を歩くなど、子供の遠足ならいざ知らず、おしゃれな持ち物にリュックを加えるなど、考えられないことだったのである。
ところが、年を重ねて両手に荷物を持って歩くのは負担になってきた。思いも寄らないことであった。特に日常の買い物で沢山の品を買ったときなど、両手に重い荷物を提げて歩くのは苦痛になった。そこでリュックの存在を知った。リュックを背負うと両手が自由になり、歩くバランスもよいのである。
あるとき妹にその話をしたら、「お姉ちゃんとおそろいのリュックを買ったことがあったよ」と言われた。それに答えて私は、「そんなはずはない。私は若い頃にリュックなど使ったことがない」と言い張ってしまった。
「私が持っていたリュックが気に入って、同じものを買って欲しいと頼まれて買ってあげたのよ。覚えてないの。探してみてよ」と妹はなおも言った。
私はまったく思い出せなかった。それよりなにより、私にはリュックを好む趣味はないと思い込んでいた。「そんなことはない」と探す気もなかった。何だか腑に落ちなくて、しかも自分の曖昧な記憶がもどかしく、気分を悪くした。
後日、妹からリュックの画像を添付したメールが送られてきた。私は思い出せなかった。初めはやっぱり妹の思い違いだと否定した返事を送った。しかし、何だかその色合いが、どこかで見た事があるような淡い記憶となって蘇ってきた。気に掛かってクローゼットの中を探したらありました。ショックだった。
私の記憶のなんと頼りないことか。そのリュックを使用した記憶も無いのだった。
私は改めて、これからは頑なな自分の記憶を疑ってみることにしたのだった。