6月29日(土曜日)。夜明けにあってきのうから、梅雨の雨が降り続いている。梅雨本来の現象のことゆえに、嘆いては様にならない。わが身にあって、嘆くことはかぎりなく。その多くは、生来のわが「身から出た錆」に由縁している。「文は人なり」という。もとより「ひぐらしの記」は、わが小器の証しである。挙句には、人様の愉快な気分を挫く、独り善がりの文章へ成り下がっている。このことではもともと、ブログに書くべき文章ではない。もちろん私自身、常々十分自覚しているところである。大沢さまの「前田さん。何でもいいから、書いてください」というお言葉に甘えて、なお図に乗ってしまったのであろう。いや、常に反省は繰り返している。だけど、生来のマイナス思考の性分が災いし、長年書いてもいっこうに改めることができずじまいである。だからと言って、自分を責めても仕方がない。いや責めては、哀れや惨めさが弥増(いやま)すばかりである。だったら、秘かに私日記にでも綴ればいいものの、三日坊主の祟りにあってそれはできない。なぜなら、学童の頃に試した私日記は、三日にさえにもとどかずじまいだった。こんな体たらくの私なのに、想定外に「ひぐらしの記」だけは続いている。冒頭の文章とは矛盾しているけれどそれは、ブログのおかげである。いや、実際には、人様の支えのおかげである。大沢さまには、変わらぬご好意を賜っている。高橋弘樹様には、都度の「大・大・大エール」のみならず、みずからのご体験を踏まえて、教科書さながらのサゼスチョン(指導)にあずかっている。「毎朝、読んでいます」という、入社同期の渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)の励ましパソコンメールには、そのたびにうれしさ身に余るものがある。異国中国に赴任中の木村様のお便り然り、また竹馬の友「ふうちゃん、マーちゃん」の励まし、平洋子様のふるさと情報、またまた然りである。おのずから、声なき声の皆様の励ましも、これらに劣らず大きな支えである。こんなわが身に余る僥倖には、決して書き殴りでわが意を記してはいけない。もちろん、書き殴りのつもりはない。けれど、書き殴りのようにも思えて、真摯に詫びるところである。わが生来の、小器およびマイナス思考には涙雨が降り続いている。「ひぐらしの記」は、「シオドキ、シオドキ」と、音を立てている。