5月最終日(31日・金曜日)。台風の接近にともなう大雨予報に背かず、夜明けは雨が降っている。この雨は、気象庁の梅雨入り宣言を誘い出しそうである。この時季の雨はどちらかと言えば歓迎し、もちろん恨みつらみはない。だから雨に遭遇し、気分が萎えることはない。なぜならこの時季、日本列島津々浦々にあっては、雨(天水)を頼りにする田植えが真っ盛りである。しかし、雨のせいではなく、寝起きのわが気分は萎えている。その原因は、きのう書き直しを含めて二度にわたり書いた文章は、わが指先の不始末で没し、挙句恥を晒したからである。そのこともあってきょうは、端から文章を書くつもりはなかった。確かに、書くつもりのない文章は書けない。ところが現在の私は、このことだけは書かずにおれない気持ちに苛まれている。それはすなわち、大沢さまのご配慮に背いては、お里が知れて罰が当たる思いだからである。結局、きのう書いた文章は日の目を見ず、掲示板上には現れなかった。ゆえに掲示板上に残っていたのは、おととい書いた表題『雨、水、天水』だった。この文章は往時(学童の頃)に体験した田植え、そしていまやそれにまつわるふるさとの水田風景を懐かしく偲ぶものだった。すると、それに合わせて大沢さまは、水田風景の写真を掲示板上に載せてくださったのである。掲載の写真は田植えが済んだ後に広がる田園風景、まさしくわが心が晴れ晴れとする、美しい水田風景だったのである。私はまたとない、当を得たご配慮を賜ったのである。ゆえに、書かずにおれなくなったこの文章は、大沢さまのご配慮にたいする御礼文である。夜明けの大降りの雨には気分萎えずとも、わがミスで気分は萎えていた。それでも、このことだけは書かずにおれなかったのである。御礼文を書いて、萎えていた気分は和らいでいる。大雨は輪をかけて、気分の好い夜明けをもたらしている。