雨、水、天水

5月29日(水曜日)。きのうの大雨、大嵐は止んで、朝日が射し始めている。今、地震が起きなければ、万々歳の夜明けである。雨は、天水をもたらす。地上は、天水なくては困る田植えの季節である。水田(みずた)、水田(すいでん)、どう読んでもいい。土にたっぷりと水を含んで、稲を植えれば(稲作)、秋には米の収穫(収量)にありつける。古来、米は日本人の主食の食材をになっている。もとより私は、米作りを本源とする農家(農業)育ちである。それゆえに私は、田植えの季節にあっては今なお、大雨(天水)を嫌うことはない。水田は、常に心中に抱く美的風景である。この風景には家族それに親族、はたまた村人の田植え姿が付き纏っている。だから格別、懐かしくよみがえる絵になる心象風景である。現下、田植えの季節とあってこのところのテレビニュースには、それにちなむ映像が現れている。するときのうは、飛びっきりの映像が現れた。私は、当時のわが姿を観る思いで目を凝らした。映像は、学童(小学生)の田植え体験学習だった。水田には子どもたちの群れが、苗をもって足を入れていた。その様子は、だれもがはしゃいでいた。ひとりの男の子がマイクの前に、ニコニコ顔で立った。「最初はジュクジュクして気持ちが悪かったけれど、だんだん慣れて気持ちが良かった」。私はうれしくなった。体験学習は功を奏したのである。なぜなら、男の子は農家(農業)の一端を感じて、同時に水(天水)の大切さを知り得たであろう。田植えの時期にあって農民は、どれほど水(雨)に気を揉むかを知ってくれれば、これまたなお万々歳である。この文章の付け足しに電子辞書を開いた。【「水稲(すいとう)」:水田で栽培する稲。「陸稲(おかぼ)」:畑地に栽培する稲。生育中、水稲ほど多量の水を要しないが、水稲より収量が少なく品質も劣る】。日本列島くまなくきのうの雨はまさしく天水、農家にとっては恵みの雨だったはずである。朝日は輝きを増している。田植えの季節到来である。