4月末日(30日・火曜日)。(ああー、もう、4月が終わるのか!)。私は嘆息まじりに起き出している。小雨降る、夜明けにある。嘆息はこれだけではない。生来、わが脳髄は鈍重であり、加えて手先は不器用である。これらを含めて寝起きのわが嘆息は、極限状態にある。歳月の速めぐりに抗えないのは、しかたがない。ところが、わが能力の乏しさには私自身、腹が立つ。しかし、どんなに藻掻いても解決するものではなく、これまたしかたがない。そして後者の祟りは、文明の利器をたずさえる現下の情報化社会において、日々被っている。
いつもの大袈裟な表現を試みれば、私は現代社会にあっては生きてはいけない(生存権がない)のかもしれない。なぜなら、私は文明の利器のもたらす利便(性)に日々悩まされている。わが日常生活において用いる文明の利器は、ごく限られている。具体的にはパソコン、そしてスマホだけである。情報機器にはテレビや固定電話、ファックスなどがある。しかしながらこれらには、すでに要無しになったものもあり、しだいに不要になりつつあるものもある。ゆえに現下、私が情報ツールとして用い、そして操作等で悩まされているのは、ほぼパソコンとスマホに限られている。広くはこれらにカード類など、様々な電子機器(媒体)を加えていいのかもしれない。確かに私は、買い物現場でレジの支払機の操作に悩まされている。つまり私はこれらの操作に悩み、だからこれらを「ラクラク」操ることができれば、わが日常生活、いやこの世で生きることには、どんなにか「らくちん」だろうと、思うばかりである。わが身体に張り付く鈍重な脳髄、加えて不出来の指先は、不甲斐なくただただ恨めしいばかりである。
こんな身も蓋もないことを書いて4月は、一日だけの休みで過ぎてゆく。ウグイスは、こんな私に業を煮やしてか、このところエールを断っている。小雨のせいにできない、つらい夜明けである。