春は過ぎる

4月24日(水曜日)。小雨そぼ降る晩春の夜明けが訪れている。このところ、朝日はかくれんぼしている。せっかくの好季節にあって、腑に落ちないところである。しかし、地震が起きなければ、泣き言はご法度である。なぜなら、自然界の恵みは、やはり箆棒である。桜は北上を続けて、北の地方では、今なお花見どきにある。当地(鎌倉)で葉桜を深める桜木とて、仰げば花見気分横溢の興趣にありつける。まさしく桜は、咲いて良し、散りて好し、葉桜もまた佳しの風景である。あれほど待ち望んでいた春3月と4月、季節を分ければ、初春、中春、そして晩春となり、総じて残りは一週になり、こののち季節を変える。季節のめぐりに応じて、人の世における別れの月、出会いの月も過ぎてゆく。人情のはぐくむ別れと出会いは、文字どおり悲喜交々である。ところが私の場合は、喜び少なく、悲しさ多く過ぎてゆく。気張って「哀歓」と書きたいけれど、それは書けず「哀感」一辺倒である。起き立てにあって、こんな無駄文を書いてはお里が知れる。もちろん、恥晒しは厭わない。だけどネタなく、文章はここでおしまいである。気が触(ふ)れている自覚はない。