4月2日(火曜日)。明々と朝日輝く夜明けが訪れている。このことでは気持ちのいい中春の朝である。鎌倉地方も桜の開花は出そろった。きのうの気象予報士の予報によれば、晴れ間はきょう一日限りで、あすから週末頃までは雨の日が多くぐずつくと言う。この予報を聞いた傍らの妻は、「パパ。あしたは近くの花見に行きましょうよ」と言った。私は素直に「そうだね。行くよ」と相槌を打った。ところが、そのあとすぐに私は、言葉を重ねた。
「あしたは、S医院へふたりして行こう、と言っていたよ」
「そうだったわね。雨が降る前にはそちらが大事ね」
「雨降りの通院は嫌だね」
「そうね。ちょうどいいわ。S医院へ行って、帰りに近くの公園の桜を見ればいいのよ」
「そうだね。そうしよう」
これまた私は、素直に相槌を打った。
二人にとって通院は、最も大事な日常である。まさしく、「花より団子」をしのいで、生き延びるための切ない行動である。
起き立てにあってきょうは、煮ても焼いても食えない文章を書いた。しかし、老夫婦の日常生活の一端を披露したものと思えば、芥子粒ほどの価値はある。もとより、「箸にも棒にもかからない」文章ではある。それでも、夫婦共に生きている証しにはなる。
「春眠暁を覚えず」。慌てふためいて書いた。朝日輝くきょう一日は、とても大切な日である。私は明日以降の悪天候を気に病んでいる。学び舎では入学式たけなわの出会いの月のスタートにあっては、私は晴れの清々しい夜明けを願っているからである。ところが予報は、わが願いを挫いている。ここで文章を閉じることでは、このところの長い文章の罪償いにはなる。