速めぐる歳月日時、それにぐるぐるつきまとう妄念

2月18日(日曜日)。寒気は緩んでいる(4:33)。このことだけには、気分が和んでいる。しかし、これから書くことには、気分が沈んでいる。2月は余すところ、11日にすぎない。歳月は脱兎の如く、速足で逃げて行く。挙句、私は日々身を竦めている。抗ってどうなることでもないことゆえに、私は愚か者である。それでも、わが身に堪えている。起き立てにあって私は、こんな自問自答を試みていた。若い頃と違って、人生の晩年を生きる現在のつらさ、悲しさ、遣る瀬無さは何だろう。これまた、大馬鹿な思索(思念)である。そして、浮かべれば無尽蔵にある。数えきれない中にあって一つだけに限定すれば、いの一番つまり筆頭に位置するものはこれである。それはズバリ、わが身には「未来の日」がないことだった。これでは、雲を掴むほどに漠然しすぎる。何事にも、大袈裟すぎるわが悪趣味である。未来! 実際にはそんな先々のことではない。いや、1年、あるいは2年、遠くて3年先に予定されている、様々な催し物(行事日程)が、一つ一つ無縁になりかけていることである。メデイアの習性として日々、先々の確かな行事日程や、大まかな予定を伝えてくる。ところがこれらは、もはや無意識ではなく、意識して聞き流さなければならない。私の場合、そのたびに行事にかかわる愉しみが消えてゆく。どうにかそこまでは愉しみがつながりそうなのは、来年に予定されている「パリオリンピック」くらいである。これとて、確かな命の保証はない。わがファンとする阪神タイガースは昨年、18年ぶりに日本一の栄誉に輝いた。そして現在は、二連覇を目指して、開幕前の春季トレーニングの真っ只中にある。しかしながら二連覇はもとより、あと一回の優勝さえ、わが目では見えそうにない。最も恋い焦がれている中にあって、これまたわが目では見えそうにないのは、母校の「箱根駅伝」における優勝である。悲願のごとく掲げている「ひぐらしの記」、「単行本、夢の100号」の実現には、肝心要の「わが命」が足りそうにない。望んでももとより叶えられないことを望むのは、結局、わが欲望の悪あがきであろう。年老いて、自問にたいする自答を掲げれば、心中、切なくなるものばかりである。だから、もうやめよう。歳月日時はぐるぐる回り、まもなく夜明けが訪れる(5:32)。継続だけが取り柄の文章は、つらい作業である。歳月日時の速めぐりに負けず、心中、妄念がぐるぐる駆けめぐる。