世情とわが事情

2月15日(木曜日)。起きて(3:57)、パソコンを起ち上げる前にあって、こんな簡易な語句さえ電子辞書を開いた。世相:世の中のありさま。生きて、世の中に存在するかぎりは世相まみれであり、ゆえに現下の世相を浮かべないことは一刻さえない。すると、真っ先に浮かんでいるのは格差社会の高進である。実際のところは、インフレ(物価上昇)の高まり現象である。ここでいう格差社会とは、お金を持つ者、持たざる者のとの差、すなわち日常の生活水準の差である。より具体的には、お金を持たない者、お金にありつけない者の日常生活の苦しみである。現下の日本政府の舵取りは、長年続いていているデフレ(物価下落)から脱却である。このための施策は、インフレ傾向(2パーセント程度)を目指していると言う。そして現在は、ようやくこの施策の達成が見込めるところへきていると言う。反面、物価上昇による齟齬をきたさないために政府が躍起となっている施策の一つはそれに見合う、いやそれを超える給料や賃金の上昇である。ところが半面、この施策は格差が生じる元凶ともなっている。すなわちそれは、給料や賃金にありつけない人たちの置き去りである。職業や仕事を持たずに、収入というお金にありつけない私も、この範疇に入る。このところ、株価がバブル以来(34年ぶり)の高値を更新したと囃し立てられている。まさしく、株式(金銭)を持つ者と、持たない者の格差の現出である。新型コロナウイルス蔓延の時期にあっては仕方なく自粛を強いられていたけれど目下、堰が切れたごとくに海外および国内旅行への復帰が取りざたされている。これまたお金持ち(富裕層)に限られて、お金を持たざる者(貧困層)は、おのずから置いてきぼりにあっている。きのうのNHKテレビニュースは、医療機関における初診料および再診料の値上げを報じていた。世情に疎い私は、(なんで、初診料や再診料が要るんだ!)と、腑に落ちない思いだった。こんなことを長々とそして一々書いては、わが気分が滅入るばかりである。だから、わが柄でもないことはここで書き止めである。きのうの聖バレンタインデーにあっての私は、わが身銭を切って買ったクッキーを自分の口に鱈腹入れた。義理チョコにさえありつけないわが身の悲しさは、まぼろし仕立ての女性の愛にさずかり、自前でもクッキーは美味しかった。いや、美味はともかく、わが気分はすこぶる和んだ。そして、世知辛い世相(世情)を生き抜くには、たまにはこんな気違いじみた自演も必要悪だ! と、悟った。愛のない世相は、真っ平御免である。お金のように形はないけれど、愛(愛情や情念)こそ、人間の生きる価値の本源と言えそうである。ところが今の私には、現(うつつ)の他人様からさずかる愛はなく、自演でまぼろしの愛を紡ぐより便法はない。それにはやはり、一抹の寂しさはある。それでも、まぼろし仕立ての女性の姿は、安価なクッキーにまぼろしの美味を加えていた。これ以上書けばいたずら書きは、エンドレスになりそうである。夜明けまではまだたっぷりと時間がある(4:49)。だから、ここで止めなければインフレのごとくに、わが妄想は高進しそうである。夜長に向かい妄想は、日々更新を続けている。