2月3日(土曜日)、未だ真夜中とって言い頃にある(2:36)。パソコンを起ち上げる前に、外していた眼鏡を耳に掛けると、枠が冷たくてゾッと身振りをした。それでも季節は、しだいに寒気が遠のく春の「節分」を迎えている。人生の晩年を生きる私は、必ずしも節分待望者ではない。しかしながら一方、寒気を極端に嫌う私は、節分を秘かに望んでいた。なぜなら節分は、確かな季節の屈折点である。寒気はまだあるもののそう思うだけでも、現在のわが気分は和んでいる。豆まき用の豆は、妻が近隣の「鎌倉湖畔商店街」に総菜屋を構えている「おふくろさん」から、すでに買って来ている。妻は「鬼は外、鬼は外、あなたは外、…」という掛け声とともに、炒り豆をわが身に投げつけるであろう。普段のわが介助ぶりに飽き足らず腹いせまじりに妻は、豆をいくつ私に投げつけるつもりであろうか。豆袋の表示には「福豆」と記されている。私がいっとき痛さを我慢すれば、妻いやわが家には、幸福が訪れるのであろうか。そうであれば、バンバンかつ強く投げつけてほしいものだ。日々衰えてゆく妻の体力は、いくつぐらいの投げつけに耐えられるだろうか。いっときの演技者になって大袈裟に逃げ回るわが足とて、ヨタヨタで心許ないものがある。わが家の豆まき光景は、年年歳歳、切なく、寂しくなってゆくばかりである。なぜなら豆まき一つに、互いの衰えぶりが浮き彫りになる。もとより豆まきは、歳時(歳時記)にのっとったおまじないである。その証しに震災被災地にあって去年の豆まきは、何らのご利益ももたらしていない。去年の節分にあっては、震災被災地のどこかしこの御宅でも、家族そろっての豆まき光景があったはずである。ところが、豆まきはおまじないにすぎずご利益なく、自然界は震災というひどい仕打ちをした。だとしたら震災被災地および被災者の難渋をおもんぱかって今年の豆まきはおのずから、わが家にかぎらず神社仏閣のすべて、自制すべきなのかもしれない。なぜなら、日本列島の各地からもれ伝わる「豆まき便り」は、震災被災地および被災者にとっては、あまりにも惨たらしい悲しい便りであろう。すなわち、震災被災地および被災者にとって今年の節分は、去年とは様変わり身も心も凍えるものとなっている。恵方巻(巻き寿司)で縁起のいい方角を覗いたところで、もとより食欲を満たすだけのおまじないにすぎない。きょうの私は、すでに買い置きの福豆は仕方ないけれど、商魂の渦に引き込まれて、巻き寿司を買うつもりは毛頭ない。わが自制、いやご利益のない銭失いを避けるためである。このところの私は、気張って文章を書いている。このことはきのうの文章にも書いたけれど、すなわち、わがしでかした二か月余の文章の頓挫の償いと、わが怠け心にたいする自己発奮を促すためでもある。ところが、駄文はおのずからいたずらに長くなり、挙句、掲示板上のカウント数は漸減傾向にある。それゆえにきょうは、心して短い文を書こうと決め込んでいた。ところがまた、だらだらと長い文章を書く、体たらくぶりである。そうであれば尻切れトンボを恥じず、ここで結文とするものである。妻がいくつか投げつける福豆を指先で一つ一つ拾って、わが口に運ぶであろう。こんなケチ臭い行為ではおのずから、私にそしてわが家に幸福が訪れるはずはない。いまだ時刻は、真夜中同然である。私は、だらだら文に付ける表題を浮かべている。