2月1日(木曜日)。安眠と熟睡にありつけず、真夜中にあって、起き出している(1:36)。この先には睡魔に襲われて、つらい夜になりそうである。きのうの昼間は気象予報士の予報に違わず、地上にはポカポカ陽気が降りそそいだ。私はコートなどの防寒装備まったく無用に、妻と共に逗子海岸にあるファミレスへ出かけた。ここで予定されていたのは、娘そして妻の里を守る義姉と義兄相揃っての誕生日食事会だった。つごう5人が集う、合同の誕生日祝いの実際の該当者は、娘と義兄の二人だった。まったくの無償にもかかわらず、この世で一番ありがたく思えるものは「日光」である。そして二番目は「月光」である。逆に、この世で一番うれしくないものは「地震」であり、そして二番は、豪雨をともなう「台風」である。わが家の屋根は一度、台風に吹き飛ばされて、甚大な被害を被ったのである。
日光の恩恵は、昼間だけとはかぎらない。夜間にあっても、光こそ見えないけれど、十分にわが身体、地球を暖めてくれている。その証しに現在は、まったく暖房器具(暖房費)要らずの、暖かい夜に恵まれている。その証しに指先に冷えはなく、心身は寒気に委縮してもいない。それゆえに現在の私は、普段とは違って快調にキーを叩いている。いつもどおり私は、光線なくても「太陽礼賛」しきりである。
月は替わりきょうから2月、そして季節は、一足飛びに春へ向かっている。いや実際には一足飛びには向かわず、三寒四温を繰り返して確かな春へ向かってゆく。幸いなるかな! きのうの文章は、恐れていた「遺稿」を免れ、かつ「ひぐらしの記」は、きのうで断絶(絶命)という「命日」にはならなかった。その意味では出来不出来にかかわらず、この文章はありがたく、飛び切り貴重でもある。なぜなら、1月末日で途切れず、2月初日へ繋いだのである。
わが文章書きは脳髄の凡庸のせいで、来る日も来る日も苦悩を強いられている。だから、文章書きを投げ出してしまえば、私はすぐさま苦悩から免れること請け合いである。ところが優柔不断の性質の私は、これまでそれさえできずに挙句、何度こんな繰り言を続けてきたであろうか。わが小器、お里の知れるところである。
2月初日、例年の習わしにしたがって私は、机上の卓上カレンダーをじっと見つめている。月替わりは、大晦日ら元日を含めれば、1年に12回訪れる。それらの中では私の場合、気分が最もワクワクするのは、1月から2月への月替わりである。たぶんそれは、寒気を脱して暖かい春へ向かう季節変わりに、わが胸がワクワクするからであろう。確かに、カレンダー上の2月は例年、わが気分の高揚感を露わにしてくれている。
今年の2月は閏月で、平月の28日に1日を加えて、29日の日増しになっている。それでも2月は短い月である。ところがこのなかで、国民休祭日が二回もある。一つは「建国記念日(2月11日・日曜日)」にとなう「振替休日」(2月12日・月曜日)、そして一つは「天皇誕生日」(2月23日・金曜日)である。ところが、毎日が休日のわが身に私にはさしたる感興はない。2月のカレンダーにあってはやはり、この二つに気分のワクワク感がほとばしる。一つは「節分」(2月3日・土曜日)であり、そして一つは「立春」(2月4日・日曜日)である。これらに準ずるものでは多少縁のある建国記念日がある。なぜなら、わが夫婦の「結婚記念日」は、時を違えてこれに重なっている。もう一つは今ではまったく無縁だけれど、勤務時代の義理チョコの甘い思い出がよみがえる「聖バレンタインデー」である。
寒気はいまなおまったく感じず、指先快調に書き殴り、未だに2:43である。中身は何のとりえもなく、いたずらにカレンダーの移し書きにすぎなかった。けれど命日を免れて、2月へ繋いだ文章には可愛さが溢れている。世の中のご多分に漏れず、「できの悪いもの」ほど、可愛いものはない。