前田静良

ひぐらしの記

歳月は、わが人生を変える

12月19日(月曜日)。狭苦しい雑居部屋を嘘っパチに私は、憧れのある「書斎」と書いてみよう。確かに、わが名が記された単行本が整然と、かつ押し合いへし合い並ぶ一基の本棚(箪笥)はある。しかし、雑居・雑然の様相を示しているのは、本棚に入れてもら...
ひぐらしの記

寒気に震えて「遊び文」

12月18日(日曜日)。真冬へ向かう年の瀬の水は、冷たい。起き立てのこの時刻(4:57)の寒さが身に沁みる。きょうの私には、東京(国分寺市内・次兄宅)へ向かう予定がある。用件は、義姉さんの一周忌への参列である。  このところの私は、書き殴り...
ひぐらしの記

わが日暮らし、通院模様

12月17日(土曜日)、起き立てにあって、寒さが身沁みている。このところの書き出しにあっては、こんな常套文になり下がっている。すでに何度も書いているけれど、「ひぐらしの記」という命題は、六十(歳)の手習いにすぎない私にとっては、とても書き易...
ひぐらしの記

人間の感情、わが感情

12月16日(金曜日)、年の瀬は早瀬のごとく流れている。落ち葉の数は日に日に減り、山や木立は冬枯れの季節を深めている。路傍の草花や庭中の雑草は、枯れたり萎えたりしている。人間は感情の動物である。それゆえに、生きとし生けるものの中にあっては、...
ひぐらしの記

年の瀬は、半ばを流れている

12月15日(木曜日)。寒さと年の瀬のつらさが身に沁みる。こんなことは書かなければいいのに、起きて、心中に浮かんでいる日暮らしのことゆえに、書かなければならない。  私は、だんだんと日常の生活力に不安をおぼえている。妻と自身の体力および気力...
ひぐらしの記

人様との会話こそ、人生の醍醐味

12月14日(水曜日)。夜明け遠い時刻(4:16)にあって、生きて起きてきた。寒気が、肌身に沁みる。バスや電車に乗れば、座席を譲られることに、気を遣わなければならない。日々の外出行動は、余儀ない買い物回りと、かかりつけの病医院へのたらい回し...
ひぐらしの記

冬の入り口にあって、「春よ、来い」

12月13日(火曜日)、季節めぐりからすれば、あたりまえのことではある。しかしながらこのところの起き立て、すなわち夜間あるいは夜明け前の寒さは、酷くわが心身を虐めている。表現を重ねれば、長引いている体調不良に加えて、このところの寒さは、とこ...
ひぐらしの記

ノンフィクションは、厳しい生きる現実

12月12日(月曜日)。起き出して来て、「寒いなあー……」と呟いて、ブルブル震えている。現在のデジタル時刻は、夜明けはまだまだ遠い、4:30である。随筆集とは名ばかりの「ひぐらしの記」は、ノンフィクション(事実、実話)の最たるものである。こ...
ひぐらしの記

通院に怯えている、わたし

十二月十一日(日曜日)、願い叶わず、いつものようにドジを踏んで、起き出している。就寝時にあって私は、「きょうこそは、明るく楽しいネタの文章を書こうね……」と、わが脳髄に命じた。ところがどっこいわが願いは、頼りにする脳髄にいともあっさりと裏切...
ひぐらしの記

年の瀬の嘆き

12月10日(土曜日)。かつての松竹映画の題名だけを捩れば、人生行路は『喜びも悲しみも幾年月』である。人生行路にあって人は、過去には生きられない。過去は生きた証しと、悲喜交々によみがえる思い出だけである。だから人は、現在を生きて、未来を生き...